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3歳の娘、中国へプチ留学

ダブルの特権

娘は、中国人の主人と、日本人のわたしとの間にできた子供ですので、ダブル、俗に言うハーフですね。

二つの国がかけ合わさってるダブルと表現するのか、半分半分だからハーフなのか、まぁそんな表面上の表現のことはわたしはどっちゃでもええと思うんですが、これは、まぁ大都会東京生まれのパパと超のつくど田舎生まれのママの場合であっても同じやとは思うんですが、とにかく、わたしの子育ての方針としては、せっかく二つの国の文化を知れるチャンスなんだから、存分に味わおうではないか、ということ。

結婚するときも、一回の人生で二つの文化知れることってまぁないよね?!ラッキーじゃん!という気持ちもあり、決めた側面もある。

とりあえずわたしたち夫婦は、主人の協力もあって、今のところ日本が拠点ですが、子供は、小学校に上がるまでは、フットワーク軽いので、一年の半分は、日本、もう半分は中国、ってな感じでいけたらいいなと思っている。

最初からこんな考え方だったわけではもちろんない。

聞けば、主人の地域では、じっちゃんばっちゃんが孫の面倒を見るのが当たり前だそう。子供の両親は、元気なうちに子供のことは心配せずに、目一杯働きなさい、というような感じで。

なので、もう孫の世話をすることは、なんの苦でもないし、むしろ当たり前。

早く連れて来てくれコールが鳴り止まない。

生まれたばかりのときも、そのコールは鳴り止まなかったが、さすがに、母乳もありがたいことに出るし、初めての子供だし、つわりも重度で、産むのも痛かったのに、渡してたまるか的な感じではあった。

伸ばしに伸ばし、1歳になったときに、3人で中国へ行き、2週間は主人と私もあちらで羽を伸ばし、2週間後は、子供は主人の両親に預けて2人で日本へ帰国した。

まだ母乳は出ていたが、1歳頃にはやめれたら、とは思っていたので、物理的に断乳となる。

最初は張って大変だったが、だんだん体も順応してくる。

そんな感じで、娘、約5ヶ月の初めてのプチ留学だった。

2回目のプチ留学

今回は2回目のプチ留学となる。

前回帰ってきたときは、1歳半頃。

聞き取りは、日本語はさっぱり忘れており、向こうの方言は、意味が分かっていた。

さすがに話すのは、ほぼ無かったかな?

歩き出すのも、向こうで歩き出していた。もちろんムービーやテレビ電話があるので、知ってたけど。

前回、置いてくるときは、1歳だったので、自分がどういう状況下に置かれているのかも全く理解していなかったので、わたしだけ大号泣w

ひたすら空港までの車の中ずっと泣いていた。

なんであたしが痛い思いして産んだ子と離れ離れにならなあかんねん!って。

なんか一生の別れみたいに。

今回はどうなるやろうか。

もう3歳。

話も通じるし、色々分かる。

嘘はつきたくないから、ちゃんと、本当のことを言うつもりではあるけど、分かってくれるだろうか。ちゃんと伝わらなかったら、私たちが帰ったあと、置いてかれた、とか思うんじゃないだろうか。その辺が気がかりだけど、1週間もあれば慣れることは知ってるので、とりあえず心を鬼にして、わたしは絶対泣かないように、お別れしないといけない。

中国には、5月か6月くらいまでの約5ヶ月くらいいる予定で、その間、幼稚園に通わせることになった。

集団生活に入ることで、色んな単語が飛び交うし、言葉の覚えが早いのと、文化も知れると思ったから。

たくさん揉まれてくるんだ娘よ。

母ちゃんも日本でがんばるからなー!!

可愛い娘には旅させよ!

帰ってきた頃には日本語全部忘れてるかもしれんけど、子供の吸収力を信じてます!!


ということで明日、娘、保育園最後の日。

また帰ってくるんだけど、とりあえずしばしみんなとお別れ。それも一応説明してるけど、どれだけ分かってるかは分からん。

今日、先生には、自分で、

『あした、ちゅうごくいくぅ!』

って言うてたらしいw

明日ちゃうけどね!w

今この時期、昨日、今日、明日、がめちゃめちゃなので、そこは許してあげようw

とりあえず中国に行くんだ、ってことは分かってるみたい。

車の中で、

『◯◯ちゃん、ちゅうごくで、がんばる!』

って宣言してたw

とりあえず、中国にもうすぐ行って、がんばらなきゃいかないってことは理解してるみたいw

とりあえず花丸だな。

楽しもう。子育て。

完全に少数派な人生だけど、よかったって思える人生を選択していきたいね。


今日はおしまい。

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