2020年7月28日から8月2日まで、「絵」というタイトルのグループ展をした。
展示中に、作品のプロセスや考えを、人に繰り返し話していく中で、段々と思っていることがはっきりしていき、また、話していることに対し新たな視点からの気づきもあった。


-展示前-

まず今回の展示は、4月に行う予定だったが延期になったものだ。4月時点では、全員『額縁をつける』という制限を設け、自由に作品を作るというテーマだった。
だが展示は延期になり、再度6月に4人の出展者で集まった時は、恐らく誰も、最初のモチベーションは無くなったり変化したりしていた。

分断されてしまった時間と気持ち、ゼロになった場所から話し合いをし、展示をそもそもやるか否か、という所まで話は及んだ。
「それぞれが展示までの1ヶ月間で、今までやってみたかった事をやるのはどうか」
「シルバニアファミリーを作る」
「誰か1人だけの展示にして、それを皆で手伝うのはどうか」
など、段々とまとまりのないものになりそうな気がしていたが、展示者の共通点などの話から最終的には、
「絵画を主な表現手段として用いない、別の肩書(音楽家、染色家、大工、映像作家)を持つ4人が『絵』というテーマで作品を作る」というものになった。
4月に行おうとしていた事実を引き継ぐように、ある程度の自由がきくテーマになったと思う。正直全員でのテーマは必ずしも必要ではないが、個人的には何かしらあった方が作りやすいだろうなとは思っていた。


-展示をすること-

「作品を作る」「展示をする」という事に対し、ここ数年ピンと来ていなかった。人の展示、作品を見るのは好きだし、福岡に来てからも何回も「展示はやらないのか」と言われたりした。自分はまず目の前のデザインや映像等の仕事を一つ一つ行いながら、表現や媒体の精度、知識を上げる、という事をここ数年行ってきた。
自分は作家だという意識ではないし、出来る事を頼まれるままに答えて制作をしていく中で、やりたい事や興味ある事をその仕事内容に上手くはめ込む、というような制作の仕方だった。その中で、自分の中に地続きにある好きなものについて考えるエネルギーが減っていった。
幸いジンのイベントにも誘われる機会が定期的にあり、その時は集中して無責任に実験をする事ができていたが、その時にしか意識的にまとめるための表現をしなかったので、あまり実感の無いものでもあった。VJも定期的に行っていたが、現場で見てもらう以上の目的は無いため、「作品」という意識ではなかった。

今年に入ってから、制作よりも言葉で考えることに長い時間を費やし、人に相談をするなどし、ある程度の理解を経て自分の立場を認識してから、自然と「作品というものを作ってみたい」と思っていた時に、展示の誘いの連絡が来た。
「人に見せてそれを売り生業にしたい、アーティストになりたい」という気持ちとはまた違い、自然な流れで、「自分の立場から作品というものを作ってみる、という行為がしたい、そしてその結果自分がどう感じるのか知りたい」というような気持ちだった。
アートをやっている友達も知っているし、自分はそんな事ができるほどの器ではないとずっと思っていた。逆に、自分の通ってきたデザインというものにも上手く馴染むことができずに、ただ作りたいものを作れるようになるために表現の実験をし、それをネットに載せたりして作品ともデザインとも言えず実感が無い、という大学時代を過ごしていた事へのある程度の答えが出たような気がする。


-DM-

まずは作品よりもDM を作った。6月に打ち合わせをしてから、作品よりも告知物を先に作らなければいけないと思った。
同時期に別の仕事で印刷をしなければいけなかったことも一因にある。それらをリソグラフで印刷するついでに一緒に印刷できればなと思った。 必要に迫られたことと自発的な気持ちが形となった瞬間だったと思う。自然な気持ちで物を作れたのは初めてかもしれない。


-制作-

DM作業を終えてから作品に取り掛かり始めた。
まずは展示の形式から考え始めた。絵の内容を考えることよりも、 展示した時にどう見えるか、自分としても見に来た人の目線としてもどういう印象を与えたいか、また自分にとって今展示をやることの意味、などを考えた際、 絵の内容だけを考えるのは普段の制作行為と全く変わらないと思った。
普段作っているものが印刷物やモニター上のものが最終的なアウトプットであるため、物質としての力強さが残るものにしたかった。 そこから三次元的なオブジェ、家具のような立体物としての形が作ってみたいと思い、また普段の制作では必要の無い「大きく描く」という事もしてみようと思った。
まず枠組みをしっかりと決め、その制限の中で表現を決定していくようなイメージ。

学生の時は内容の事ばかりを気にしていて最終的なアウトプットや見せ方(枠組み)ということに全く意識が入っていなかったのでそれを避けるように、というのは自分の中に根付いているのだと思う。
課題の作品講評の際も「何を最終的に見せたいのか分からない」という感想をよく言われていた。当時自分がやりたかったのは、まとまりのあるものではなく、一つ一つのやりたい表現を量産していく事で、出来上がったものの枠組みは完成した時点でしか分からなかった。

そしてその枠組みとして、まずはギャラリーの空間と壁に対して、大きい絵を描くか、少し立体的なものにするか、細かく分割し絵も立体も作れるものにするか、などを考えた。参考になりそうなものを集めてそれをそのままイメージしたりそこからインスピレーションを受けたものについて書き留めていった。
4月の際に、知り合いの方に額縁制作を頼む事は決めていたので、今回もその方に頼む事は前提としてあった。そしてメモを見せながら話す中で、お互いのプロセス、作りたいもののイメージの丁度良い所が取れそうだ、という事で、立体を作ってもらい、そこに自分の絵を貼る、ということになった。

「どんな見せ方にしたいか」というのは決まり、次は「どんな形または絵を具体的に作るか」という段階になった。形に関してはとりあえず思いついた形を書きつつ、資料を集める中でピンと来たものを参考にした。作業をしている中で、 形や絵を決めるにあたり考えなければいけない様々な要素をひとつずつ明確にしていく中で、下記のようなことを考えた 。
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(テーマ)
認識、見え方、知覚の誤差による発見
自分を通して体験できる、身近な出来事や誰でも記憶の中にあるような物事を取り扱う

(見る人がどう思うか)
おもしろい かっこいい きれい なるほど

(方法)
・普段の制作でやってみたかった発想、方法でモチーフや形を考える試み。
・認識の新鮮さを思い返させてくれるもの
・生の自分の線、表現 模索しながら探すような部分も意識的に取り入れる。形にしようとすることを先走って考えて整えようとしすぎないこと。

(家具、オブジェとして)
・家に飾りたいもの(絵としてではなく、オブジェ、家具的な)
・知覚のされ方として、一瞬絵には見えない、絵としての要素と家具、オブジェとしての要素が混在し認識としてはっきりしにくいが、それぞれの特徴がまず入ってくるもの
・無意味なもの、用途は無いが欲しくなるもの

(今までの制作からの試み、やってみたいこと、改善点、制限など)
・全体で1つ大きい絵を描くよりも、「形遊び」という枠があった中で、それぞれの形に対して好きな絵を描いて
いけたら楽しくできそう。
・形にすることをカチッと考えたうえでの絵 / そこから離れてカット込みで自由な絵 の両極をしたい

(目的)
デザインの思考、構成の思考、実験的な制作の思考、を取り入れて作品に落とし込む

(制作アイデア)
・基本は面より少し大きく描いて、貼ってから形に沿って切り取る
・面にピタッとではなく小さく貼ったりする
・大きく描いて、切り方をあらかじめ決めないものも作る
・家具に見たてて、作品でないものも置いたりしてみる
・切り取る面白さ/コラージュ/余白/立体になった時の画面外への想像力
・別の形同士が繋がってる

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というような事を考えつつ、最終的な絵と組み合わさったイメージが全く想像つかない中で、制作可能な絵の素材を描いていった。
実際、搬入の5日前まで、制作はなかなか進まなかった。結局絵をカットする前提なので、一つ一つこだわりすぎてもカットしたら台無しになるかもしれないし、カットの仕方で良いものになるかもしれない、という事で、素材時点での完成は見えなかった。その中で何とかやれたのは、「どう切り取っても面白くなりそうな、シンプルな曲線と色面で構成した大きい絵」
と「結局切り取るけど描いているうちに段々のめり込み、長時間かけて描写した大きい絵」などである。

立体が出来上がった段階で10枚程度の作品を持っていき、話をした。
「この絵はこの立体に貼ったら良さそう」
「この絵は切らずに折り目をつけて、新たにそれ用の立体を作ろう」
「こういう見え方、大きさの立体も必要そうだから、サイズだけ決めてお互いに作ろう」
というように、出来上がったもの達を照らし合わせて、様々なアイデアが生まれた。そしてそこから2日間でお互い新たに素材を作り、またそれらを組み合わせていった。

プロセスを踏み、話し合いながら新たなアイデアが生まれるのはとても面白く、立体を制作してくれた方も「作業をする中で素材の新しい可能性を発見した」とその仕組みを作品に反映してくれたりした。
絵を立体に貼った瞬間に自分の描いたものから全く別のものになる、という感覚だった。

それら立体とは別に、パネルに紙を張ったままの絵も描いた。
その中での発見は、「どうにかして平面的な絵でも物質的にしたい」と念頭に考えていたが、線的な素材をパソコンで簡単に作り、それをトレースし画面上で絵具をのせていく際に、物質感を出そうと単純な直線にも入念にゆっくりと描いていきわざとシルエットを凸凹にしたり、絵具の盛りもごてごてにして二次元から離れていくようにする中で、「行為が物質的になっていく、行為によって後から意味を付け加えていく」という感覚になることができた。

自分にとってモチーフ選びは難しいことだった。映像にしてもイラストにしても、自分の「好きな感じ」はあっても「これをモチーフにしたい」と0から思ったことは制作の中で無い。素材や制限や他人の意向からモチーフを選び出すことはしたことがあるが、「何を描いても良い」という中で描きたいものがこれといって無かったことに驚いた。仕組みや手法、プロセスに興味があるのだと再確認した。制作終盤にかけてはほぼ考えずに手を動かした。感覚を頼りにする中で、 思い描いていたのは目の前のモチーフのことよりも、 全体のトーンや展示された時の光景だった。



-搬入-

搬入当日になり、作品を全て展示会場へ持って行った。どういう形で配置するかは全く決めてなかったので、その場で全て考えた。床に置ける作品もあったので、壁と床半々ぐらいの数で分けようと思ったが、半々だと壁が若干寂しくなってしまうため、ほとんどを壁にかけた。作品のテイストなど関係なくバラバラに構成していこうかと思ったがそれだとあまりにもまとまりが無くなってしまうので、大きい作品を真ん中に据え、左側に抽象的な作品、右側に具象的な作品を配置した。
一番に考えたのは見やすさだった。仮止めが出来なかったのもあるので、ある程度想像でどのように見えるか試さなければいけなかったが、時間が迫る中で、おそらくその配置にした理由などを単純に説明しやすいものとして扱いたかったのだと思う。デザイン作業において特に自分が気にしている、「理由をしっかりと説明できること」が念頭にあったのだと思う。他の展示者にもアドバイスを求めながら、感覚的にやっていた部分もある。だか最終的に納得をする理由として、人に説明できるということが大事だったのかもしれない。


-展示-

展示期間中は主に知り合いだが沢山の方が来てくれた。ほとんど期間中はギャラリーにいたので、 何十回と作品の説明をした。展示をやるに至った経緯や、他の展示者の作品の説明などを踏まえて、自分の作品について何回も説明しているうちに段々と自分の考えてることもはっきりしていたような気がする。



-言われたこと-

・デザイナーの作品っぽい
・絵が流れる感じが映像作家の作品っぽい
・色味が全て渋いからもっとおじいさんみたいな人が作ってるのかと思った
・映像よりも、自分らしさ、人柄が出ている

終わり


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