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言葉でない部分を、受け止める難しさ

――ドロドロとした愛憎劇がウケるのはどうしてだろう。
 そんなことが現実になっても苦しいだけなのに。
――人が亡くなって犯人探しをする面白さはどこから生まれるのだろう。
 尋問されている人の言葉を聞くと、人間不信に陥りそうなのに。


私の読書感です。

頭では分かっているんです。
リアルでは倫理観が問われる『やってはいけないこと』の追体験だって。
思っていてもなかなか、受け入れられない。
自分の中に壁がある感じ。

こんなふうに何かしら壁があって、どうしても理由が知りたいのにデータからは推測できないし、分かっているふうで、でも納得できなくて、もどかしくて苛々して、ふがいなさややるせなさといったごちゃ混ぜの感情を内包していた先に。

” 納得できる答え” が書かれた本に出逢ったんです。


『いつか別れる。でもそれは今日ではない』/  F

こちらは裏表紙。


この本のアマゾンのレビューも、読書メーターも、著者のTwitterも全く知らず、私の五感に吸い寄せられるように手に取った本。

大人になって、好きな作者の新刊を追うことをやめ、パッと入った本屋さんで惹かれた本を買う巡り合わせを重視するようになりました。

レビューは散々なことが書かれてあることは、読み終わった後で知りました。皆さんインタビューでFさんが答えた言葉が衝撃的だったのだと思います。

確かに、紡がれる内容にはどこか『懐かしさ』があります。
歴史上の人物が残した格言に惹かれる時のような。
それでいて、心の奥底に雫がぴちょんと落ちたような、静謐さを秘めていて。


好きになった理由は、答えにくいからだ。本当に好きであればあるほど。
適当な理由はもちろんいくらでも思いつく。
どうしてその人のことが好きなのかと訊かれて、「笑った顔が好きだから」だとか「優しいから好き」と答えるのは簡単だ。でも、事実は違う。
 (中略)
「だから好き」ではない。ふと、好きになってしまった。あらゆる言葉や
修辞ではもはや取り繕えないから好きになった。もはや誰かに説明する必要性さえ感じないし、そうすることも不可能だと思えるほど、途方もなく孤独にさせられたから好きになった。
 一体全体、理由が分からないから、好きなのだ。  (18~19頁) 


女性は共感力が優れていると言われるけれど、裏を返せば共感できないことを受け止める難しさを秘めているのかもしれません。

言われたいことを言ってくれるより、
言われたくないことを言わないでおいてくれたり、
して欲しいことをしてもらうより、
して欲しくないことをしないままでいてもらえる方が、
遥かに難しく気づきにくく、そしてありがたいと思う (61頁)


8年付き合って結婚しても分からない、お互いの価値観を上手くチューニングしてくれるような言葉。

お互い出張ばかりで顔を合わせないことも多い。
忙しいふりをしてメッセージひとつ飛ばさない/飛んでこない日もザラ。
だからこそ、ちょっとしたことで優しさを感じたり、よかったと思える。
重くなるのが嫌なのは正解で。
でも時に重さが欲しい、頼りにして欲しい時があってもいいなといつも思っている。


本書によると、ハーゲンダッツのストロベリーは仲直りのしるし。
頼られたい時に頼られないから、その穴埋めとしてお願いしてみました。

私もまだまだ、世間体に縛られて物事を考える癖があるようです(反省)
縛られなくなった先に、ドロドロした愛憎劇や、殺人犯や被害者を愛せる日が来るのかもしれませんね。


大人の義務はご機嫌に暮らすこと。

ご機嫌に暮らすための、noteです。


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