雨中の決意

【 1982(昭和57)年10月 20歳 】



 ミモちゃんと付き合い始めて5ヶ月が過ぎていた。夢のキャンパスライフは見事に現実のものとなっていた。何処へ行くのも2人一緒。小さな大学なのでミモちゃんと私はほとんどの学生たちに知られた仲だった。

“あの2人ってフランスの玖津木君とイスパの宮森さんでしょ。”

といった感じだ。また大学で公認の彼女がいるとなんだか心に余裕も生まれる。そのおかげでいろいろな事柄が上手く回りだす。サークルも学内イベントも積極的に参加し、私は『勉学』以外では実に有意義な日々を過ごしていた。

 授業の後、特に何もすることがない日は、基本的にミモちゃんと私はアパートでテレビを見たりゲーム(トランプなど)をしたり、お昼寝したりしていた。実に清らかな交際であった。もちろん出かけることもあり、特に出雲大社へはアパートから1km程度の距離なので何度も行った。
 ところでその移動手段だが、当時の私には愛車のバイク(原付スクーター)『ヤマハ・パッソルDX(デラックス)』があった。そう、なんとDXなのである。それで何が『DX』なのかと言うと2サイクルのエンジンなのでオイルが切れ掛かるとスピードメーター上のランプが点灯して知らせてくれることと、ものすっごく適当な分量が目視できる燃料計が付いていたことだけである。まさに時代が許した『DX』の称号であった。そのような今のバイクと比べて凄まじくチャチなものでも、田舎町で男子学生がバイクという相棒を手にするということは、まさに『水を得た魚』どころか、おまけに『羽も生えてその上プロペラまでくっ付いた』くらいの状態。ガソリンスタンドが程よい距離毎にある限り陸地で行けない所はないとまで思うくらいであった。事実約70km離れた米子の実家には2時間程度かけて何度も行き来している。それとミモちゃんと出会う前の3月には朝10時に起きて、単なる思い付きで鳥取砂丘まで休憩を取りながら5時間近くかけて行った事がある。ただ、帰りは1/3程の距離の羽合町あたりでタイヤがパンクしてしまい、2時間かけて2kmの暗い道をヘトヘトになりながらバイクを押し歩いて、やっとの思いでガソリンスタンドに到着、修理してもらうという経験を強いられた。その後は10kmくらいガソリンスタンドがなく、まだ運がよかったことを覚えている。今思い出してもゾッとする経験だ。結局アパートに帰ったのは日付が変わって深夜1時、計15時間の時間の無駄遣いだった。

 話は戻るが出雲大社はもちろん、大学からアパートまでも基本的にバイクに2人乗りだった。ミモちゃんは自宅から通学していたため自然とそうなっていた。移動中は田舎とはいえ極力国道を避け農道などを通り、とにかくパトカーに見つからないように注意した。だがしかし、滅多にはないがそんな小さな人気の無い道でもお巡りさんに見つかってしまうこともある。…でも何故かペナルティの青切符は切られない。反則金も課せられない…。どうしてか…? それは…

『ごめんなさい。え~ん。え~ん。ひっく。ひっく。』

とミモちゃんが泣いてしまってお巡りさんがどうしようもなくなってしまうからだった。若いお巡りさんにとって純朴な女子大生の泣く姿はとても手に負えないエグイ程効果のあるウェポンだ。また年配のお巡りさんなら娘世代だから甘くなる。とにかくお巡りさんと言えど男性である。こんなキツイ仕事は滅多にないであろう。だから結局『警告』のみで放免となるのであった。ただ、少なくとも3度は同じことを繰り返した覚えがある。ミモちゃんは決してそういうことを計算してやっていないのだが…その度に同じ事が始まる…なんとも恐るべし…。
 また、大胆にも日御碕灯台にまでも行った事がある。初デートの時宍道湖で見た夕陽とはまた違い、何も障害物が無い日本海に沈むその姿は圧巻だった。2人は初デートの事を想い出し、2度目のロマンティックなキスをした。そういう事柄においては、出雲もなかなかいい土地柄である。

 そんな幸せな日々を送っていた1982年10月某日。私の大学生活における2度目の大きな試練、それを決定付ける事件が起こったのである。

 ここでちょっと参考までに説明する。都会の学生には想像しにくいと思うが、田舎の大学では学生が車で通学していることも少なくはない。例に漏れず出雲大学にも学生が利用しても構わない無料の駐車場があった。因みに友人の中にも数人、車で通学している者がいる。サークルの先輩にもそういう人は何人もいる。
基本的に彼等の車の多数は自宅のもの、つまり親の車であることがほとんどだ。中には親に買って貰った幸せ者も結構いる。おまけに免許取得費用も親から出ている確率は非常に高い。そしてその車の使用者が男子学生の場合、これまたかなりの高確率で助手席には彼女の姿が多く視認される。この事実を知っておいていただきたい。

 それは小雨が降る午後だった。朝は降ってなかったし、天気予報もそれほどの降水確率を示していなかった。ただ、“山陰”という土地はコロコロ天気が変わり易く、『弁当を忘れても傘は忘れるな』という言葉があるくらいである。だから小雨が予想できなくてもそれは仕方がないことだ。まあ、特に小奇麗な服を着ている訳でもなく、やはり当然バイクでの通学だった。ただ、いつもと違うのは、その日はちょっとした目的でギター(アコースティック)を持っていたということだった。私は高校生の時、軽音サークルに入り同級生とデュオを結成していた。その時一生懸命バイトして買った宝物のギターだ。最近はほとんど弾くことはないし滅多に見ることもない。でも30年以上前に買ったこの宝物は今も私の手元にある。
ところでまだ説明していなかったが、私はテニスサークル以外にもう一つ『フランス語会話サークル』にも所属していた。別にガンガン勉強したかった訳ではなく単純に先輩方が好きだったから続けていたのだが、そのサークルでちょっとギターを使うことがあったため大学に持ってきていたのだった。
 さて、授業も終わり特にサークル活動もなく普段通りミモちゃんをバイクに乗せてアパートに向かう。ただその日はギターもある。だからミモちゃんはもちろん後ろ、そしてその上ギターはバイクのステップに置くことになる。ハードケースなのでなかなか原付スクータータイプには大きい(当たり前か)。ネック部分は左肩にもたれ掛かける感じで落ちないように気を配る。もうこれだけでもなかなか大変な状況だ。その上、雨は徐々に強くなってきていて、傘が必要不可欠なくらいであった。そして当時は原付バイクにはヘルメットの着用義務がないのでもちろんノーヘル。当然走り出せば顔に雨粒がぶつかる。自然と目は不自然なくらい細くなり…しっかり閉めた口のその形は『へ』の字型。…実に不細工な顔だ。
 もう一度繰り返すが、でかいギターが足元から肩、後ろにはミモちゃん。その愛する彼女が雨に濡れて寒そうにしている。私はといえば『細目』で『への字型の口』という不細工な顔。おまけにお巡りさんに見つからないよう注意しながらの移動。いくら貧乏学生とはいえ、なかなか惨めな状況だ。
そんな私の心が傷つきそうな最中、大学の駐輪場から出て100mくらいの場所だった。テニスサークルの先輩カップルが通り過ぎていった。窓を開け、こちらを見て、手を振り、明るく声をかけて…。

「ばいば~い!」

…颯爽と…優雅に…雨など関係なく…。

そう…彼らは…車通学カップルだった…。
私は言葉を失った…。
ただ、呆然と彼らを見送った…。
しかし、ある一つの感情だけはしっかり認識できた。

『とても…とても悔しかった…。』

もちろん彼らは、何も悪くない。罪もない…。
でも…でも…私はとても惨めな気持ちになった…。
雨に濡れ寒がっているミモちゃんを背中に感じていたからだ…。
それがわかっていたから…すごく悔しかった…。

何も言わないがミモちゃんも羨ましがっているかもしれない…。
本人に聞いた訳ではないが大好きなミモちゃんに断じてそんな思いをさせていはならないっ!

だから私はその時…固く…きつく…決心したのだった…。
男なら…男なら…決心しないとダメだと思ったのだ…。

『車買うぞー!』

っと。
でもその決心の後、なが~い道のりが私を待っていたのだった…。

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