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外資コンサル内定の東大生と話した

今日、外資コンサル内定の東大生とオンラインで話した。

なるほど、何とも華やかな経歴をもっている人だった。

バスケで全国大会出場経験、
東大現役合格、
外資コンサル内定


頭が良さそう(実際に良いんだろう)で、
見た目もよく、
気さくで感じもよく、
何でも手にしているような人だった。


それでね、私が思ったことが2つ。


1つ目に、多分その方は、
”そういう自分でいること”に拘りがあるんだろうなぁと思った。

”何でも持っている”、”勝ち組”、”リア充”の人生。
多分、そういう自分でいることが好きなんだろうなぁ
そういう風に見られたいってのもあると思う。
”理想の自分”なんだろうなぁ。
それが彼のエネルギーの源なんだろう。
そしてそれに向けてとても努力できる&してきた人なんだろうなぁ

何のジャッジもなく、良い悪いとかでもなく、ただ純粋に凄いなと思った。


2つ目に、1つ目を受けて、何だか複雑な気持ちになった。

うーん、、、
羨ましいっていう気持ちが多分自分の心の中にあって、
でもそれを羨ましいって思いたくない自分も多分いて。

「羨ましいって思わないように、押さえつけてるよな今」ってもう1人の自分が見てた。笑


”華やかな世界”に憧れている自分がいる。
そこにたどり着けていない自分がいる。
それを学歴や、生まれてきた環境の差や、能力の差のせいにしようとしている自分がいる。
そんな自分が嫌だし、私にもできる、私にだってやってやる、という自分がいる。


なぜ華やかな世界に憧れるのだろうか。
ってか華やかな世界ってなんだ。
なぜそこを目指すのか。
周りの人に憧れられたいのか。
華やかな自分に酔いたいのか。

上に行きたい。
上に上りたい。
上りつめたい。

ずっと思ってきた。

「世界が違う」
この言葉が大嫌いだ。

「私とは住む世界が違う」
そうやって諦めたくない。
そうやって諦める自分でいたくない。
言い訳したくない。


自分で自分の人生を諦めた時、
多分私は死ぬと思う。(精神的に?)

そうならないように、必死で生きている。
ときどき、疲れる。ヤケクソになる。

まだまだ必死さが足りないけれど。


そんなことを感じた今日でした。



(stay homeでそろそろ発狂しそうやけん、だれかonlineごはんでもonlineカフェでも何でもしましょう笑
とりあえずGW明けまで大学は再開しないみたいです><
(オンラインで全部授業))



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