豊かさとは
アフリカに住んでいる。
安全上の必要から、運転手を雇って生活している。今日は彼の話。
運転手という業種に就いている人のなかでは、比較的良いお給料だろう。けれど想像するに、彼が支えているであろうアフリカの広義の「家族」の人数を考えれば、多すぎもしないのだと思う。本人は華美な生活をしているようすはない。
今日、所用を済ませて車に戻ると、運転手がある建物の警備員にお昼を買ってあげていた。日差しでくたびれたパラソルを立てて、七輪のようなものでプランタンバナナや何やらを焼いて売っている路上のキオスクで、ピーナッツらしきものが入った袋と、シャワルマらしきラップ式サンドイッチを買い、そのシャワルマは警備員にあげていた。明るく屈託ない笑顔で。警備員は「Merci ありがとう」と返した。
私が払うお給料が、かたちを変えてこの場面に喜びと幸せを創造した。もらったお金で、私の運転手はごく自然に喜びと幸せという豊かさをこの場に生み出したのだ。
きっと警備員は運転手に感謝し、その運転手の雇い主である私にも悪くはしない。私の運転手が生み出した優しさで、豊かで柔らかな感情と優しい関係性が生まれる。誰かを信用できる、その人といることに安心できるということは、かけがえのないことである。
良くしてやるから悪いことはするなよという、ギブアンドテイクの考え方による、自己防衛的なジェストだったのか?そうは見えなかった。ここではそういう立ち居振る舞いが必要なことがあるのも事実だが。
私は私の運転手は、なかなかすごい心の持ち主だと思う。彼はきっと他の場所でも、喜びと幸せを生み出している。
お金は豊かさを生む手段。流動して豊かさを生むもの。特に良いモチーフ (意思、心根) を持った人やプロジェクトに流すと、そのお金はより大きい豊かさに変容してこの世界に現れるのだと思った。
この世界に柔らかな豊かさがもたらされるように、お金は良いモチーフがあるところに置くことにする。
自分自身が、この世界を豊かにする良いモチーフでもあるよう。