曲を作りました3
また作りました。
「なすの揚げ浸しおいしい」という曲です。
今までで一番長いです。3分弱。
たぶん1~2ヶ月くらいで作りました。
思いつきを形にしてしまった
なぜ突然なすの曲を書き始めたのか、よく覚えていません。歌詞は深夜にほとんど勢いで書いた。
ラップっぽい部分は急に入れたくなったので別で考えた。難しすぎてそこの歌詞だけで一週間くらいかかった。落ちサビ?の部分の歌詞はその残骸。
なすを切る音などをわざわざ自分で録音して使っています。そんなことしなくていいのに。
今の気持ちは、「こんな曲に一ヶ月以上も苦しんだのか」と「無からこれを作り出した私すごい」が半々です。
この雑さ、まとまりのなさ、プロには絶対できない作品を作れたと思う。
真面目な曲作りから全力で逃げたい
まとまりのあって聴きやすい、「いい曲」はプロが作ってくれるから、私は作らなくていいかなと思う。
普段はプロの作った曲しか聞いてない。自分が作った曲も全く聞かない。
あと前回の反省で、暗い曲は二度と作らないと決めた。気持ちが引っ張られるし、向いてないと思う。なるべく作ってて苦しくないものを作りたい。
今回以上にクオリティの高いものは、もう出せないかなと思う。これ以上ちゃんと作ると作業っぽくなって楽しくなくなっちゃう。
音楽作りそのものがあんまり向いてないかもな。
でもつい時間かけちゃう
今回は適当に作って終わらせるぞ~と思ったのに、なんかいろいろやっちゃった。
動画は半日で雑に作ったけど、イラストと写真に実は手間がかかってる。
楽器の数も今までで一番多い。
いっぱい鳴らしたら音割れして、直すのがめんどくさかった。イコライザーとかコンプレッサーとか、何やってるのか全然わかってない。勘。
いろいろいじったので、聴き苦しいと思います。
聴いてくれた人がいたらすいません。(遅い)
なすっておいしい
なすの曲を作るにあたって、なすをいっぱい食べました。図書館でなすの本を読んだりもしました。せっかくなら色々インプットしながら作りたいので。
なすは、いろんな味付けに合うのが長所ですね。
茹でても、焼いても、しょっぱくても辛くても甘くてもおいしい。スポンジのように味が染み込むし、クセが少ないので、何にでも合います。
皮を剥かなくていいし、火がすぐ通って楽なのも良い。
ナスニンという色素があることを今回初めて知った。ナスニン♪
いろいろできたので満足です。
そのうちまた何かを作るかもしれません。
それでは。
【おまけ】先週くらいの日記
下書きにあったのを上げときます。
……
文章を書く、絵を描く、音楽を作る。
いろいろやってきたが、作家になりたいと思ったことはあまりないかもしれない。
何かを作りたいというより、手が動くから自然にやってきた。
幼い頃から自由帳を毎日持ち歩き、思いついたことを書いていた。
小学生の頃に本を読んでファンアートのようなものを描いていた記憶がある。
今と変わらない。
放っておいても生きてたらアイデアが次々に出てくる。
頭の中に置いておくと勝手にぐるぐる動いて落ち着かないから、手を動かして外に出す。
何か作品を見たり、文章を読んだり、音楽を聴いたりするたびに、頭の中で何かが大きくなっていく。
私が形にしなければ、私の頭をいっぱいにしていたアイデアが、永遠に形にならずに消えてしまうって考えると、なんかイヤだ。
アイデアを出しても、それを作品という形に持っていくのは何度やっても難しい。いろいろやるうちに、私は作品のクオリティを上げるための作業が苦手だと気付いた。
一つの作品を納得のいく出来まで仕上げる前に、他の物を作りたくなってしまう。絵なんて、完璧に描こうと思ったら一枚に何ヶ月かけても足りない。音楽は一生完成しないかも。
ネットを見れば、自分の何倍も上手くて、時間がかかってて、個性にあふれた作品がいっぱいある。
絶対プロにはなれないな、と思う。
基本的に自分のために作っているからネットに上げないものも多いけど、それなりにできたやつは「頑張ったから見て見て〜」と思って上げてる。あと、もし自分の作ったものが誰かの何かになったら、それは嬉しいなとも思う。
このnoteは文章を書く練習がしたくて始めたな。
自分の中にあるもやもやしたものを、人が理解できるような形に整える作業には意味があると思う。
もやもやといえば、カフェインをいっぱい摂ると頭の中にあるもやもやしたアイデアとかの輪郭がはっきりすることに気付いた。世界がちょっと明瞭になるような気がする。覚醒剤ってこんな感じなのかな。違うか。
曲を作るの、何回やっても全然意味わかんないですね。
自分で作った音を聞くのが本当に疲れる。
早く終われって思うのに、なんかやたらと時間がかかる。時間短縮のための勉強もしたくない。もう道具にお金もかけたくない。
あと、曲を作るようになってから、音楽を聴いた時に入ってくる情報量が増えて、曲をいっぱい聴けなくなった。つい「どうやってこの音を鳴らしてるんだろう」とか考えてしまう。ただでさえ絶対音感とかあるのに、さらに自分を苦しめてどうするんだ。
絵とか文章とかも、「自分が作るなら」とか考えない方が純粋に楽しめるんじゃないかと思う。
一度その視点を持ってしまうと、どうしても何か違う見え方をしているように思う。「これは自分には作れないなー」とか、思ってもしょうがないのに思っちゃう。見るだけで終わり、というのはもったいない気すらしてくる。
そういう意味では漫画とか小説とかゲームとか映画とか、自分で作らないものは純粋に楽しめているのかもしれない(?)。今後も作らないで楽しみたい。
プロになるわけでも、なりたいわけでもないのに、なんでこんなに「作らなきゃ……」と思ってしまうのだろうか。
曲を作ってる間も、一円にもならないのに、なんでこんな自分を追い詰めてるんだってずっと思っている。楽しい瞬間はあるけど、辞めて何も考えずにゆっくり過ごせるならそうしたい。
でも一回動き始めてしまったら途中で投げ出せない性格だから、ずっと縛られている。頭の中で形になりつつある曲を、形にする道具も時間もあるのに、なぜやらない?っていう気持ちが何をしていても頭の片隅にある。
自分で作った曲、アップロードしてから一回も聴いてないのに。イントロが流れた瞬間汗が吹き出してイヤホンを外すくらい聴けないし、もう歌詞も半分忘れた。出した時点で私の中から存在ごと消えたってことなのか?
手を動かしてると精神が落ち着くから作ってることもあるな。仕上げる作業以外は楽しい。アイデアをざーっと書き出すときが一番わくわくする。絵は下書きが一番楽しい。
音楽も、仕上げるのにかかる、とんでもない時間と手間と技術と精神力以外の部分は楽しいと思ってるな。プロの人も実はそうなのかな。
なんで私はこんなことを……
ゲームしようかなー!
それでは。
……
終わりです。ありがとうございました。
がんばります!