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毎回涙目だった私がニガテな野菜を克服するまでのお話

今回は私が幼少期から大学入学まで
世界の敵とも感じていた「野菜」が食べれるようになるまでのお話しです🙄

人の味覚って変わるんだなあと思いながら、
そして野菜がきらいな方や野菜が苦手だという子供を育てている
子育て世代の方にもぜひ聞いてほしいです~🎵

◎私の野菜遍歴
はい。食べることが大好きな私ですが、
肉・魚・野菜で野菜という括りのもので唯一野菜がきらいでした。
なぜかおいしく感じれなくて、
給食や食卓で出されていつも苦しい思いをしていた頃がありました。
なぜならトマトしか食べれなかったからです🍅

むしろトマトはフルーツだと思っていたのかもしれませんが、
トマトが苦手でほかの野菜が食べれる友達を見ては、
その舌を取り換えて。
この生き苦しい世の中どうすればいいの世的に考えておりました(笑)
ホントです・・(笑)

晩御飯は野菜が出るかどうかはまず注意深く、
母親の料理をあらかじめチェック、
給食はメニューが決まっているので、
毎回戦争のように感じ、毎回どう乗り越えるか必死だった日々でした。
本当に早く学校を卒業したいのも、
学校に行きたくなくなるのも80%くらい
給食が左右してくるときもありました。

なぜなら野菜を残す人は人権がなく、
昼休みを返上して食べるまで残されていた暗黒の学生時代。
そう給食は敵。お昼休みはなにもできない。
だれも代わりに食べてくれなくて、助けてくれない。
いま思い出してもつらすぎて泣けてくる。。

大人になった今では、給食は残さず食べなさい文化が、
優等生で生きることを子供に求める日本社会において
どれだけ苦手やアレルギーのある子を苦しめているか
わかってあげてほしい。

私モットーが平和なので、
負けず嫌いではないと思っていたのですが、
今思えばこんなに苦しい状況でも負けるか。と
苦手な牛乳やお茶で流し込んで(飲み込んで)胃に
野菜たちを入れていました。

鼻をつまんで味覚を消し、食感は神経は麻痺していると思い込ませ、
私の体は消化できず、悲鳴を上げていたことでしょう。

◎克服のきっかけ
そんな私に生命の危機を感じさせてくれるきっかけがありました。
それが上京です。
お昼休みは学食を食べて過ごしていたのですが、
そこで感じたのが急に崩れやすくなった体調と減る一方のお金です。

自分の稼いだお金でやりくりしなければいけない中、
栄養や慣れない環境で熱も出しやすくなっていました。
(最初はこれはもしや野菜から栄養を取っていないからではと考えるようになったのです)
そして出されたものをえり好みして食べていた実家時代に比べ、
毎日の自分の身銭で食べている学食を残して食べないのは「もったいない」という気持ちが侵食してきたのです。

そこから学食で付け合わせに出てきた野菜を食べるところから始まる生活のスタートでした。幸いなことに私の大学は学食が有名で、おいしいものも野菜にはあるのだと体に思い込ませることで、少しずつ食べれるようになりました。

思い込みってすごい。学食ありがとう(笑)

その後、付け合わせだけでなく苦手だと思っていたデリご飯で、野菜がついてくるおかずも食べれるようになったのです!

社会人になってからは、ナスも食べれるようになりその魅力に気づきました。母が一番ナスを好きで、小さい頃は一生共感できないと思ってましたが、共感できる日が来て、人の味覚は変わるのだと実感したのです。

◎今でも食べれないもの
今でも苦手なのは、コールスローサラダとキムチ、ワサビ、マスタードです。最初は辛い物が苦手という実感がなかったのですが、このラインナップで自覚しました。あとたこ焼きやお好み焼き以外に使われるマヨネーズも苦手です(笑)

◎野菜を食べれるようになって世界が変わった
結果、好き嫌いはあっても食べれるものが多いほうが、
世界は生きやすく、共感できるのだと心から思いました。
ご飯が出てきて、避けたり、あらかじめ聞くパトロールが減りました👮

好き嫌いがないことを目指すというよりは、
克服するきっかけや思い込みの力で、
自分をいい方向にもっていき、そういう経験のを積み重ねって大事なんだなあと思いました💫
ぜひ食の幅を広げてみてください~!

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