あやまるのただいま修行中 -ORβIT用Twitterアカウントを1年動かして考えたこと-


早いもので、ORβIT専用のTwitterアカウントを作成してからもうすぐ1年が経ちます。

過去のNoteや普段のツイートでも何回か触れていますが、オタ活用のアカウントを作ったのはORβITが初めてで、その前はもう何年もTwitterで発信することは無く、情報収集だけに使っていました。いつの間にか、ふぁぼ機能がいいねに置き換わっていて、いいねが他の方のTLに見えるのも知りませんでしたし、引用RTの仕方や、ツイートを繋げるツリーの方法も分からず、最初の頃は一つツイートするのも探り探りで緊張していました。

最初の頃はマナーを知らずに失礼なことをしていたのではないかと思いますし、1年経った今も少し心配です。Twitterを使うことにはだいぶ慣れましたが、言いたいことを140字にうまいこと納めるのは苦手なままです。

オタ活用SNSの自分のスタンスについて

去年の11月に最初にNoteに投稿した記事で、自分が当時考えた・感じていたオタ活におけるSNSとの向き合い方について色々と書きました。今でもベースの考えや、自分がオタ活においてSNSを使うスタンスはここから変わっていません。

ただ、自分の中で当時はあまり深く考えていなかった、「推しを公言しているアカウントでSNSを動かす」ということ、それに関連するSNSでのオタ活に対する自分の考えについて、この1年の経験を通して更に掘り下げてみたいと思います。

この手の話をする時に念のため毎回書いているのですが、あくまで自分の考えであって、読んで下さった方に同じ考えを強制するつもりは全くありません。もちろん、「ORβIT界隈がこうあって欲しい」とか、自分の理想みたいなことは書きますが、それは個人の望みであって、皆さんに強要する意図は無いです。一つの意見として、「こう考えてる人もいるんだな」くらいに思って頂けたら幸いです。

SNSでは自由に発言して良い?

前述のNoteの記事で、「SNSでは誹謗中傷やデマを故意に流す以外、自由に発信して良いのでは」と書きました。実際今もその通りだと思っています。

たまにトレンドやニュース、見ているTV番組の関連のハッシュタグからツイートを検索してみると、何の遠慮も無い、心のままのツイートをしている人を沢山見ます。辛辣な言葉遣いで他人を煽ったり、リプ欄でバチバチに喧嘩したり、何かをこき下ろしたり、色んな人がいるなーと思いながら見ていますが、実際人の心の中なんて綺麗なことばかりではないし、これが現実だろうなと思います。

言いたいことをなんでも呟く、という使い方をしているアカウントであれば、それでも良いと思いますが(もちろん誹謗中傷は論外)、推しを公言しているアカウントでそれと同じ使い方をするのはよろしくないんだろうな、と思うようになりました。推しが分るアカウントで呟くツイートは、その時点で推しの名前を背負っているから、「〇〇のファンがこんな発言をしている」と周りから見られてしまうからです。

推しの顔に泥を塗りたくない

特に、近い界隈のオタク同士であれば、プロフィールやアカウント名で名言していなくても、アイコンやデコッター、ヘッダーの画像、普段のツイート等から何のオタクをしているかは分かってしまうケースも多いですよね。

自軍しか勝たん!と思うのはファンであれば当然ですし、自分達の推しが一番なのはもちろんそうなんですけど、他のグループをあからさまに下げる発言、馬鹿にする発言は特にトラブルの元なので控えた方が良いのだろうな、と思います。

自分がORβITを知った当初(2020年の5月頃)や、PRODUCE 101 JAPAN SEASON2の放送があった2021年前半は、パブサをすると、ORβITやドリームパスポートを敵視したり馬鹿にしたり、嘘か本当かも分からない噂を信じ込んで拡散する国プや他グループのファンの方を結構な頻度で見かけて、正直その人達の推しへの印象も悪くなりました。

そういうことがあった時に、Twitterでの反応を見ていると、「推しをアイコンにしているアカウントで言うことじゃない」とか、「〇〇の印象まで悪くなった」というツイートを多く見ます。練習生やメンバーには全く罪は無いのですが、心象ってそういうものだし、あからさまに他を下げる発言は、アイドルオタク界隈でのタブーなんだろうな、と学びました。

同じことは自分にも言えます。私はORβITのTOMO推しであることを公言しているので、私が他のグループのメンバーや活動を馬鹿にしたような発言をしたら、「ORβITのTOMOのファンがこんなひどいことを言っていた。ORβITのファンはマナーが悪い」と言われてしまうかもしれません。たった一部の人が何か言っただけでファンとして一括りにされてしまうこと自体、異常ではあるのですが。でも、実際そう思われてしまう可能性は高いと思いますし、そういった軽率な行動で推しの顔に泥を塗ることは絶対にしたくないなと思います。

推しを公言しているアカウントを動かす以上、ある程度発言に慎重になるべき、というのが自分の考えです。推しのファンを名乗るということ、そこで呟く内容が推しのイメージに直結してしまう可能性があるから。いつどこで、どんな風に拡散されてしまうか分からない怖さがSNSにはあることは、認識しながら使った方が良いなと思います。

対外的な面での自分の考えはこんな感じです。

次に、ORβITの界隈の中での自分の考えについて。

この数ヶ月ORβITの活動も活発でしたし、TLにも明るい話題が多く、自分自身はあまりストレスを感じることなくオタ活ができているなと思います。彼らの活動が安定してきたことだけでなく、FFさんに恵まれているのがまず一番の要因だと思いますし、自分からフォローする場合は、ある程度過去のツイートなどを拝見して、基本的なスタンスが同じような人(前向きにORβITを応援している人か、ORβIT関連のツイートがメインかどうか)を選んでいる、というのも大きいと思います。

「同調圧力」とは何なのか

自分の場合は最近見かける頻度がだいぶ減りましたが、ORβITの界隈では「同調圧力が嫌」とか「言いたいことを言いづらい、不満を言いづらい」というツイートを過去たくさん見てきましたし、今も時々見ます。

その人達のTLと自分のTLは全然違う可能性がありますし、あくまで自分の見えている範囲での仮定の話ですが、もし、そう感じる理由が「TLに肯定的なツイートしか見えない」「自分の感じている否定的な感情を持っている人が他にいない」「いつものツイートにはいいねが付くのに否定的なことを言うといいねが付かない」「自分と反対の意見のツイートばかりが回ってくる」とか、そういうレベルの話だったら、「それはそうでしょう」、としか私は言えないかなぁ。だって、大多数はORβITを前向きに応援したくて、専用のアカウントを作っているはずで、否定的な意見はあまり見たくない(=自分も拡散したくない)という気持ちが働きやすいと思うし。だから、仲間探しをしたいなら、自分と似たような考えを持っていそうな人だけフォローするとか、推しを公言しない別のアカウントを作って自由気ままに呟くとか、使い分けをしないと難しいのでは?と思ったりします。

私は、OO期に幸運にもTwitterで繋がっている何人かのEαRTHさんと直接会う機会が何度かありました。Twitterではほとんど否定的なことを言わない皆さんでしたが、実際に会って話すと、「もっとこんな活動をして欲しい」とか「ここを改善して欲しい」という話題で盛り上がりましたし、やっぱりそれぞれ思うところはあるよね~、そうだよね~と実感しました。今集まったらそんなこと無いかもしれませんが、当時は皆さん色んな思いを胸に抱えながら応援してたんだなぁ。

そういう話をクローズドなコミュニティで話すのと、誰でも見られるSNSの上で発信するのでは、雲泥の差があります。SNSで発信すると、ツイートを削除しない限り記録として残るし、なんならスクショで保存されてしまえば永遠に残るし、検索すればFF外からでも見ることができてしまいますよね。メンバーがエゴサしていることはよく分かってきたし、メンバーの目にも入ってしまうかも。なので、やっぱり自分は、メンバーや運営への不満や批判はオープンなSNS上ではできるだけ言いたくないなと思います。もしどうしても我慢できなくなったら、誰かにDMで相談するとか、そういう手段を選ぶかな。また、本当にまずい出来事が起こって、放っておくとやばいな、と思ったら、公式に直接メールすると思います。

もし、上記で私が推測しているような形ではなく、不満や批判を言うとDMやマシュマロで直接的に攻撃される、ということが起こっているのであれば、その送り主には「そういうことはやめて下さい・・・」と言いたいですけどね。実際そんな場面も何回か見ましたが、自分の考えの押し付けは良くないと思います。こういった個人への攻撃は、後述する自分の意見の表明や直リプとは別物だと私は考えています。

この界隈で不満や愚痴を言いづらいという意見に対して、あくまで自分の考えだと念押しした上で、敢えてはっきり言うならば、「推しを公言している応援用のアカウントで愚痴や不満を言うのは別にいいけれど、周りからの同意を得にくいこと・反対意見が回ってくることに関しては仕方ないのでは」という感じでしょうか。

Twitterで議論は出来るのか?

ORβITメンバーやその活動に対して否定的なツイートを見たり、TLの中で意見が割れていたり、ORβITを馬鹿にするアンチのようなツイートを見た時に、「自分はこう思いました」という、ある種その人々に対する反論に見えるようなツイートを自分もすることがあります。

これについては割と最近、「ツイッターで議論をするのは難しい」と発言して、数名の方に反応を頂きました。そこで改めて実感しましたが、「Twitterで議論を深めるのは相当難しい、というか無理」というのが自分の結論です。

ある事柄に対して自分と違う意見を持っている方に、どうしてそう思うのか気になって、思い切って直接リプライする形で聞いてみたことが過去に何回かあります。そこでのコミュニケーションを通して、自分の仮定が当たっていたこともありますし、全然違っていたこともありました。意見の違う自分からリプが来ることで、実際は嫌な気分にさせてしまったかもしれないけれど、皆さん大人な対応をしてくれて、特にトラブルになることもなくコミュニケーションをしてくれたので感謝しかありません。

私にとっては新たな気づきがありましたし、とても有意義だったのですが、自分の意見の押し付けになってしまっていたのではないかと、今思い返すと少し反省する面もあります。相手と自分がどんな関係なのかにもよると思いますが、違う意見を持っている人への直接のリプライは、やっぱり自分にとっては相当に勇気がいる行為なのは変わらないです。

こういったコミュニケーションを好ましく捉えるかどうかも、本当にその人の考えによりますよね。自分の場合は、違う意見や考え方も視野が広がるので参考にしたいタイプです。多少気分が下がることがあっても、自分と違う意見を見るのは嫌いでは無いです。

自分と違う意見を見たくないし、意見が違う人から「自分はこう思うんですけど、どうですか」と言われるのも嫌、という人もいると思います。でも、プロフィール欄にわざわざ「自分はこういう人間で、ツイッターはこんな使い方をしています。異論反論お断りです」とか、「意見が違ってもリプ大歓迎!」とか皆さんが書く訳でも無いので、そのあたりのコミュニケーションの取り方は難しいなと思います。

エアリプは悪なのか?

誰かのツイートを見てそこから自分の考えが生まれた時、元のツイート主に直接リプライする形を取るのではなく、自分の考えたこと、感じたこととして、自分のツイートとして発信する、という手段を選ぶ人は多いと思います。

これをエアリプと呼ぶのかどうかは微妙なラインだと思うんですよ。明らかにある特定の人に向けて言っている場合は、いわゆる「エアリプ」になると思いますが、複数の意見を見たり、自分で考えて「こう思う」という意見を言う場合は、それはただのツイートなのかなと。日常のツイートも、何か出来事があって、それに対して思ったことや感じたことをツイートしている人が多いと思います。そのきっかけがたまたま誰かのツイートであった、というだけで、誰かの意見に反応してはいけない、といういことは無いと思います。

私の場合、TLやパブサで見たツイートをきっかけに色々と考えて、自分が発信する「反論のような」ツイートについては、実は元となるツイートを発した本人に向けているというよりは、TLを見ている第三者を意識して発言していることがほとんどです。自分は何だかんだ他の方の意見に影響を受けやすい人間ですし、同じような人もいるかと思い、問題提起というほど大げさなものでは無いですが、「こういう風に考える人間もいますよ」という意図で発言しています。

エアリプ合戦が嫌い、という人も多いと思いますし、あからさまなものは受け取る側も良い気持ちはしないと思うので、自分も気を付けて発言しているつもりです。

ただ、色んな意見がTLに飛び交って、それを見た人が自分の考えについて整理する、ということは個人的には意義があることだと思います。そういう状況を「バトルしているみたいで嫌だ」と感じる人も多いのかもしれないですが、自分の場合は誰かを攻撃しているつもりは無いです。それが許されなくなると、極端な意見のツイートがTL上でマジョリティとなって、みんながそう思っているんだ、という雰囲気になってしまいかねないと思います。Twitterはその仕組み上、直接のリプライでの議論が生まれにくいと思うので、ディベートのように、それぞれが考えている意見を発信して、それを見ている第三者が自分の立ち位置を考える、というのがTwitterで議論を深める上での限界なのかなと感じます(ディベートという例えはFFさんからの受け売りです)。

明らかに特定の誰かへ向けたメッセージで悪口のようなことを言うのは良くないと思いますが、誰かの発言に影響を受けて、そこから考えた自分の意見を言う、というのは許されても良いのではないかと思います。

そんなのは自分の匙加減だと言われてしまえばそれまでですが、自分としては棲み分けをしているつもりです。

立場変われば何とやら

私は基本的に前向きにORβITを応援していますが、私のツイートする内容って、「30超えの良い大人で、それなりに社会人経験も長く、趣味に使えるお金も多少はあって、別の界隈だけどオタ活の経験も少しあって、首都圏に住んでいる自分」が考えていることなんですよね。

時間軸的にありえない話ですが、仮に私が高校生の時にORβITに出会っていたら、「校則でバイトもできないし、親が厳しくて自由にお金も使えず、オタ活の経験も社会人経験もない、九州の田舎の高校生」として応援していたことになるので、感じることや発信する内容は今と180度違うのではないかと思います。そもそも、自分が満足する追い方ができず、早々に離脱してしまっていたかもしれません。

こう考えると、EαRTHの中にも色んな立場の人がいるのだから、色んな意見があって当然なんですよね。一時期、公式からの供給が少ないことに対して文句を言う人、「少ないとは思わない」という人の両方がいましたが、どちらも本人がそう感じている以上、その人にとってはそれが事実なんですよ。経験してきた界隈や、自分がグループに何を求めるかで、感じ方は本当に人それぞれですよね。

自分自身にも言えることですが、自分には理解できないな、とか何でこの人はこんなことを言っているんだろう?というツイートを見た時は、その人と自分の立場や考え方が違うのかな、とまず考えてみると良いのかもしれませんね。

何かを伝えるって難しい

11月に書いた記事をツイッターに投稿した時、ある方が恐らく自分の記事のことを言っているであろう、否定的なツイートをしているのを見ました。私のただの勘違いかもしれないですし、本人に直接聞いて確かめる勇気もそのつもりも無かったですけど、タイミングや内容を考えても、多分私の書いた記事への反論だったんだろうなと。

記事を通して、「自分はこう思っていますが、自分の考えを読んだ人に強制している訳ではありません」、と何度も書いたし、誰かの意見は誰かを否定している訳では無い、ということをむしろ一番伝えたかったのに、残念ながらその人にはそう伝わっていなかったみたいでした。

その時思ったんですよね。どんなに言い方に気を付けたところで、受け取り方は人それぞれで、自分の意図したように伝わるとは限らないんだなと。単純に自分の文章が拙いという可能性もありますし、長すぎて読み飛ばされてしまって、一番伝えたかったことが伝わらなかったのかもしれないですが、結局読み手にどう解釈されるかをこちらでコントロールできると思わない方が良いんだなと。

めちゃくちゃ時間をかけて9000字超えの文章を書いても伝わらない人には伝わらないんだから、そりゃたった140字のツイートなんて、誤解されたり意図しない方向に解釈されることが頻発して当然だよなーと思いました。

だからと言って、きちんと伝えようとする努力が無駄だとは全然思わなくて。むしろ、誤解を生みやすいからこそ、できる範囲で誤解が無いよう、自分の言いたいことが伝わるように考えることはとても大事だなと思います。140字という制約がある中で、とても難しいことなんですけどね。

伝え方で変わる

だいぶ前に流行った本で、「伝え方が9割」というのがあります。私も大学生の時にさらっと読みました。言い方一つで結果が変わってくるよ、伝え方って大事だよ、って内容です。

初めて読んだ時に、自分では割と日頃から実践していることも多くて、「やっぱりこの考え方は役に立つんだな」と思ったのを覚えています。

ツイッターでも日常の対人コミュニケーションも根本は同じだと思うのですが、自分の発言を受け取った人がどう思うか?と一歩引いて考えることは大事だと思います。ORβITにこんな活動をして欲しい、というのがあったとします。半年くらい前はオンラインライブ開催を望むEαRTHが多かった気がするので、オンラインライブを例えにしてみましょう。もうすぐ実現すると思うと胸熱ですね!

「なんでオンラインライブやらないんだろう。この時代オンラインライブくらいできるでしょ」

という文章と、

「オンラインライブやってくれたら嬉しいな。技術的にはできると思うんだけどどうなんだろう?」

この2つ、言っている内容はほぼ同じなんですけど、受ける印象は結構違いませんか?

ORβITのメンバーは結構エゴサをしているみたいですし、最近よく見る「言霊」という考え方は自分も割と好きなので、「こういう活動をして欲しい」とファンが発信するのは、ORβITにとっても大事なことなんだろうなと思います。単純に、こんな活動があったら…と想像するのは楽しいですしね。

もちろん、全てがファンの要望通りになるとは思わないし、自分の願望を押し付けるファンにはなりたくないなと思います。あくまで彼らがやりたい活動を模索する上でのアイデアの一つとして参考にする、ファンが望む活動をそこから知る、そのきっかけとして、SNS上でのファンの要望はあったほうが良い、という考えです。

とにかく、要望を呟くにしろ不満を言うにしろ、伝え方一つで大きく印象は変わるので、見た人がどう思うかを発信する前に一度考えると、より平和な世界になるのかなと思います。

ただいま修行中

今回の記事のタイトルについて。我ながら気に入っています。読んで下さっている方は皆さん恐らくご存知の通り、推しのFCコンテンツから拝借しました。

日プの時からそうですけど、TVガイドAlphaのインタビューやORβOOKを読んでも、安藤誠明さんは一貫して「自分はいつも修行中。ずっと成長し続けるのでその姿を見て欲しい」と言っているんですよ。

そんな彼の壮大な人生のテーマと比べると全然ちっぽけですが、SNSを通した私の推し活も、学びの繰り返しで、修行みたいなものだなと思って、今回このタイトルにしてみました。

この記事を書きながら自分の考えを整理していて、自分でも「矛盾したこと言ってるなあ」とか「都合いいこと言ってるな」と思う部分もありますが、書くことによって頭が整理され、自分のSNSの使い方を見直すきっかけにもなっているので、これも修行の一環です。

自分がこのアカウントでTwitterを動かす一番の目的は、ORβITを楽しく応援することです。公式からの投稿を見たり拡散するのはもちろん、細かい所まで情報をシェアしてくれるFFさんにいつも助けられてますし、皆さんの普段のツイートを見るのが楽しいし、この1年、応援モチベーションを安定的に保つのに、自分にとってはとても大切な場所になりました。

フォロワー数をもっと増やしたいとか、影響力を持ちたいとかは思わないんですが、「これってどうなの?」みたいな議論になったり、色んな意見が飛び交うようなことが起きたときに、「この人が言ってることなら参考にしても良いかな」くらいには思ってもらえるように、普段からそれなりにまともなことを呟いとこうかな、とは思います。日々色々と考えながら、基本的には楽しく、でも推しに恥じないように、SNSとも向き合っていきたいなと思います。

念の為もう一度書いておきますが、ここに書いた内容はあくまで自分の考えであって、「EαRTHはみんなこうあるべき!」とか、「こう考えるのが正しい!」とか、そういう話ではありません。

私は一度「これってどうなんだろう」と考え始めると、自分の中で納得行く答えが出るまで延々と考えてしまう、とっても面倒くさい人間なので、「自分が」今後も楽しくSNSで発信するために、たまにこういう思考の整理が必要なんです。SNSでのオタ活を修行と例えてしまうくらいには変な人間が言ってることなので、あまり深く捉えないで下さいね。でももし、この文が皆さんが楽しくSNSを使うための、考え方の整理のお役に立つことがあったら、とても嬉しいです。

親愛なるEαRTHの皆様へ

最後に。後追いで日プを見てORβITを知った私がEαRTH1期星になることを決断し、ここまでORβITを前向きに応援してこられたのは、Twitterで絶え間なくORβITの情報をシェアしてくれたり、ORβITやメンバーへの愛を叫んでくれていた先輩EαRTHの皆さんのおかげです。供給砂漠期も皆さんのユーモアのあるツイートで楽しませてもらいましたし、タグイベや誕生日のお祝いでは、皆さんのORβITへの愛情を感じながら元気をもらっていました。

最近ORβITを発見してくれた新規EαRTHの皆さんや、これから出会うたくさんの新しいEαRTHの皆さんを、自分がそうしてもらったように、温かく受け入れていきたいです。EαRTHの皆さんと一緒に楽しく応援できるように、自分にできることをしたいなと思っています。

いつも仲良くしてくれている皆さん、本当にありがとうございます。こんな私ですが、これからも末永く、よろしくお願いします。

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