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「ミラベルと魔法だらけの家」感想

https://www.disney.co.jp/movie/mirabel/character/mirabel

録画していた「ミラベルと魔法だらけの家」観ました。感想は巷で見てたけど本編観るのは初めてでした。胸がギュッとなるシーンが多くてぼろぼろ泣いた……!
歌が素晴らしく、映像もきれいで、ぼーっと観るだけでもいいと思うのですが、私はエンディングにすごくハッとしました。
以下感想ネタバレ含みます。

これって、世代交代の話だと思いました。「家族」の世代交代ではなく、「魔法」の維持の世代交代。
だって、偉大なるおばあちゃんって、ギフト持ってないですよね?「カシータ(魔法の家)」をギフトとして授かったから誰も疑問に思ってないみたいだけど、癒しや怪力や変身といった、直接ふるえる魔法(ギフト)はない。愛する家族を持っているだけ……これって、ミラベルと一緒です。
ミラベルの家族・マドリガル家の魔法が少しずつ弱っているのは、おばあちゃんの高齢のせいなのか、魔法の中心が蝋燭であり蝋燭はだんだんと縮んでいくものだからなのか、それはわからないけれど、とにかく永遠ではない――まあ❝カシータ(魔法の家)の中心の祭壇のような窓に蝋燭があること❞からして、蝋燭が❝マドリガル家の魔法の象徴❞だというのがわかります。それは永遠ではない。時とともに、縮んでいくもの。けれどもマドリガル家のみんなも町の人も「マドリガル家の魔法」は当然常に「ある」のものとして生活しているわけです。マドリガル家の魔法がない生活なんて、もはや考えられない――それくらいに、あまりに普通のことと。
だからこそ、「ギフトを授かる(はずの)儀式」でミラベルがなんの魔法も授からなかったとき、偉大なるおばあちゃんも家族も町の人もショックを受けたのだろうけれど、ミラベルは、おばあちゃんと同じで「カシータを愛しカシータに愛され、魔法の家と家族の魔法を維持するための次世代の蝋燭」(初代の蝋燭がおばあちゃん)だったのだと、私は理解しました。きっと、ミラベルたちの孫世代に(いとこたち夫妻の孫になるかもですが)、またミラベルのように魔法は授からないけれど、次世代の蝋燭となる子が出現するのだと思います。

ここまではマドリガル家の魔法の維持システムの推察。
物語そのものとしては、「ありのままで」だとおもいます。魔法が使えようが使えまいがミラベルはミラベルだし――実際、ミラベルはおばあちゃんには厳しくあたられていますが、お母さんには大変愛されているのが伝わってきます――いとこの小さなアントニオはミラベルのことが大好きだし、怪力のギフト持ちの姉ルイーサだってミラベルに弱音を吐くくらいにミラベルのことを認めているのです。家族や町の人の役に立って認められるにはマドリガル家のものとしてギフトを持っていなければならないと、ミラベルは自分で自分をがんじがらめにしていたふしがあります。ミラベルはアントニオに素敵なヒョウの人形を作ってあげているし、ブラウスやスカートの刺繍は素晴らしいし、きっと魔法がなくても刺繍や裁縫の手仕事でものすごく認められる道があるはず。でも……わかるよ。私も家族なかで自分一人だけ魔法が使えなかったら、ぜったいへそ曲げてるに違いないもん。
そして、町いちばんの美人で女性らしくてすべてにおいて完璧な上の姉イサベラ。そのイサベラの婚約式をミラベルはぶち壊してしまったわけですが(真実はそうではなく偶然が重なってしまっただけですが)、それがきっかけで、イサベラが「まわりのみんなが求める完璧で理想のマドリガル家の長女」を無理して演じていたということがわかります。花を咲かせ植物を成長させるギフトをもつイサベラですが、美しく着飾ってあざやかな薔薇やかわいらしい花を咲かせていたのはみんなが求めていた「らしさ」に応えていただけで、本当は、恋愛に興味もなかったし(町の有力者の息子と婚約しようとしていたのは、そうすることがマドリガル家の長女としてすべきことと考えていたから)、薔薇よりも、サボテンやヤシの木や食虫植物やブドウの蔓が好きだったと判明しました。「家族のために」「町のために」と囚われていたのは、ミラベルだけではなかったわけです。

ミラベルを守っていちど息絶えてしまったカシータ(魔法の家)が、最終的に息を吹き返したことで(おそらくミラベルが次世代の蝋燭として、家族と町の人々を結束させたことで)またマドリガル家の人々はギフトをふるえるようになるわけですが、あくまでそれは思ってもみなかった❝奇跡❞であって(きっとあの時点ではだれも魔法が戻ってくるだなんて思っていなかった)、これからは、魔法があることがあたりまえではなくて、「魔法がなくては人の役に立てない」なんて、考えなくてもよい日々になるといいなあと思います。


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