海外と私④【アルパカ洋品店をはじめるまでの話】

将来は国際協力の仕事がしたい。

そんななんとなくの夢をもってスタートした大学生活、国際関係や国際協力分野を中心に勉強できる大学を受けて、縁あって津田塾大学に入った。

強烈に今でも覚えているのは、国境なき医師団で活動されていた山本敏晴さんの講演。
世界一寿命が短い国、アフリカのシエラレオネという国の少年兵の話を聞き、
その日の夜は眠れなかった。

それ以降、国際協力の現場で働かれている人の話を聞きによくセミナーやイベントに通い、

知れば知るほど、
それぞれの問題が複雑で、根深く、
自分にはいったい何ができるのだろうかと早速わからなくなってしまった20歳の頃。
(今だったら、一人で自活できるようになってから考えよ、と思うが)

ただひとつ思ったのは、いずれの社会問題にしても、親が仕事があって、収入があるということの重要性は全てにつながっていた。

自分が異文化の面白さに出会えたのも、外に出る背中を押してくれた両親のおかげ。


そんな時に見つけて参加したのが、インドの手仕事の産地をめぐるスタディーツアーだった。

フェアトレードで知られる会社の商品の生産地を訪れるツアーで、アクセサリーや洋服が元々好きだったこともあり、製品が手仕事で作られる様子を見るのがおもしろく、職人さんのかなり至近距離まで近づいてじーっといつまでも見ていられた。

インド滞在中、女性軽視の問題や、環境問題、児童労働や人身売買のことなどを現地の人達から聞いたり、混雑する街中の様子を車窓から眺めると、貧富の差は明らかにみてとれた。


最終日、ツアーの現地コーディネートをしていたおじさんが言った。

「あの人達は不幸だと思う?」


家がなくて路上で寝る親子や、お金やお菓子を求めて詰めよってくる子供たち。

「Yes」と言いかけたところで、おじさんが遮った。


「幸せというのは、家族や夫婦、パートナー、自分の大事な人と、喜怒哀楽を共にしながら暮らすことだ」

(おじさんは、親子関係を強調したが、私は親子でなくとも、夫婦やパートナー、友人でも構わないと思う。)


生きていく中で、怒りや悲しみ、時には理不尽なことは必ず存在する。
それでもそれをともに支え合って、一日一日過ごしていく瞬間を共有する人がいること。

衣食住足りても、身の危険のない安全な国に住んでいたとしても、
日々の喜びや怒り、悲しさや楽しさを共有できる人がいない状態。




派手なお化粧や服装をしているわけではないけれど、自分のこだわりや好みでアレンジして堂々とし、屈託のない笑顔で見送ってくれた、子育てをしながら仕事をする女性達の姿が、とても美しかったのが強烈に印象に残った。


帰国後、茶色かった髪を黒く染め直した。単純。





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