ジンギなき戦い

いつもと違う春が来て、いつもと違う気持ちで桜を見送った。
 ゴールデンウイークは新型コロナウイルスの影響で、不要不急の外出自粛を余儀なくされ、人が集まる公園も立ち入り禁止。長い冬を終え、花々が咲き乱れる喜びは、円山公園での花見ジンギスカンでピークを迎えるというのが私のここ数年の風物詩であったが、今年はジンギスカンの狼煙(のろし)が上がることはない。
 「かれんな桜の花の下でジンギスカンなど風情がない!」と顔をしかめる方にとっては、桜吹雪だけが舞い散る佳(よ)き春であったことだろう。今朝は雨降り、冷たい風が吹き、近所の桜もすっかり散ってしまったが、桜模様にプリントされたような美しいアスファルトを踏みしめながら「散る桜も美しい」と考える日本人独特の感覚について考えた。
 日本は古墳時代から疫病にたびたび苦しめられていたというが、天災に見舞われることも多かった日本史において、その無常感を「散るもまた美しい」という美意識に転換することで災厄を乗り越える強さを備えていったのかもしれない。
 日本書紀によれば、疫病で苦しんでいた時代、高台から集落を眺めた天皇が、民家のかまどから煙が上がっていないことで生活の苦しさに気づき、課税を数年間やめ、民を救ったとあるが、いま誰しもが不安を抱えて暮らしている。
 ジンギスカンの狼煙が上がっていないことに気づき、課税をやめてくれる為政者は現れず、ウイルスとの「ジンギなき戦い」は続く。


北海道新聞 朝の食卓 2020年5月20日掲載

アヤコフスキー@札幌。ディレクター・デザイナー。Salon de Ayakovskyやってます。クロエとモワレの下僕。なるようになる。リトルプレス「北海道と京都とその界隈」で連載中 http://switch-off-on.co.jp