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20代最後の日に

20代が終わる。

自分で言うのもなんだが、濃い20代だった。

そのへんにいる地方の大学生が、ひょんなことから政治家のお兄さんと出会う。
次の日から、政治家インターンシップとして、本学から末学まで徹底的に教えてもらった。

スイッチが入ってしまって、もとに戻らなくなってしまった私は、そこから彦根の小さな大学で、1年半で色んなことをやりまくった。

自分の夢を10分間プレゼンする大会。
社会人と学生がとにかく乾杯しまくる誰でもあり飲み会。
自分自身のことは棚にあげて自己分析セミナー。
有名な執筆者による講演会の主催。

・・・気づけば合同説明会とかいうものが終わり、いよいよ就活しなきゃならないタイミングだった。
仕方なく東京で就活をするものの、しっくりこない。


甘えかもしれない。だけど、“毎日スーツを着て、電車に揺られ、一般企業で働く”というイメージがどうしても湧かない。

4回生の秋、休学届けを出した。親には事後報告。
で、休学届けを出したはいいものの、やることは無い。

結局、派遣バイトでクレジットカードを売り倒したり、有名ホテルで働いたりしたが・・・これが休学してまでやりたかったこと?

そんなときに、インターンのときにお世話になっていた政治家さんから
「なにしとんねん!そんなことやってるなら、うちの事務所で働け!!!!」
と拾っていただき、今度はインターン生としてではなく、正式な政治家事務所スタッフとして、毎日働いた。

友だちはみんな就活も決まり、卒業旅行に忙しそうで、そして卒業していった。

23歳。いよいよ大学は卒業しなきゃ。
そんなときに、「滋賀県のはたらくをイノベーションする」と鼻息荒いオジサンに出会った。

当時、「働き方改革」も「リモートワーク」も「ビデオ会議」でさえも、「はぁ?なにそれ美味しいの?」という滋賀県の中小企業相手に、Googleのチカラで組織に改革を起こすんだ!と。

なによりも「“はたらく”とは、はたをらくにすること。“はた”は身近にいる同僚やお客様、そして家族。“らく”とは、幸せ。はたらくというのは、身近な人を幸せにするためなんだ。デジタルのチカラで本当に大切なアナログの時間を生み出して、“はたらく”を実現していくために、うちの会社はある。」と言っていた。

新卒なんてとっていない。むしろ新しく雇用するつもりはない。
そんな状態だったと思うが、私はこの会社で働きたい、と想いを伝え、頭を下げ、入社させてもらった。

Googleの正規代理店とは言うものの、地方の小さいベンチャー企業なので、そこからも色んな事件があり、新卒で入社した半年後には、名刺に「取締役」という肩書がついた。

23歳の女子が、中小企業の社長相手に「今から絶対働き方が変わります!だからこそアナログからデジタルにしておいたほうがいいんです!」と偉そうに訴えかける毎日だった。

25歳の年末、忙しいタイミングに電話がなった。
大学時代、ともにイベントをやりまくった男友だちから。

「沖縄旅行の一人旅で、飛行機に乗ってるんやけど、隣の女の子ナンパしたら、めちゃくちゃ面白いから、今から電話で喋って!」

は?

「はじめまして〜♪ いま、とあるアプリを広めるために、北海道でエリアマネージャーをしてるものです!社会貢献と飲食店予約が一緒になってるアプリで、とにかく今からドンドン勢い来ると思うんで、ぜひファンクラブ入ってもらえませんか?1口が10万円なんですけど!」

は?????

10人いたら、10人が思う。これはやばいやつだ。
ちなみに私はネットワークビジネスがめちゃくちゃ嫌いだ。

あのさ、申し訳ないけど、忙しいし切ってもい・・・

「ほら、黒田ってさ、ずっと“社会の問題を解決する人になるのが小さいときからの夢”って言ってたやろ?ここのビジネスはほんまにそのとおりで、関西でエリアマネージャーになる人をちょうど探してはるみたいやから、絶対紹介したいねん。」

確かに、高校生の頃からの夢は「社会起業家」。
いわゆる社会問題をビジネスのチカラで解決する人。

だからこそ、“はたらくをイノベーション”にも心が動いたのだ。

わかった。話聞く。
ただし、すぐ社長連れてこい!!!!!!

2週間後、ほんとに社長が来るらしい。
東京からわざわざ私に会いに。
香水の匂い漂う、胡散臭い、ちょび髭オジサンだろう。

「ど〜も〜♪ 滋賀県に来るの、初めてなんです♡」

目の前に現れたのは、ふわふわのスカートを履いた、私より2歳年下の女の子。
聞けば、大学3年生で起業し、実績をガンガン作ってる方だった。

飲食店を予約すると、その予約人数に応じた数の給食が途上国の子どもたちへ贈られる。
しかも飲食店側は固定費はなく、集客分の成果報酬で広告費も圧迫しない。

すごい。話を聞けば聞くほど、尊敬と、焦りと、わくわく。
取締役をしているGoogleの会社とも相談しながら、複業という形で、この会社の「滋賀県エリアマネージャー」となった。

そこから、Googleの会社を退社し、東京へ移り、本社付けで「広報責任者」にもなった。
例の社長と、シェアハウスをしながら働くという、まさに「仕事もプライベートも24時間一緒」という、なかなか無い経験をしながら…

滋賀県でやっている感覚でやっていては、東京で取り残される。
仕事してるか、飲んでるか、の二択の毎日を過ごしていると、気分が悪くなった。

飲み過ぎか?コンクリートジャングルにやられ始めてきたか?
2018年。27歳の誕生日の日。病院に向かった。

お腹の中に宝物を授かった。
東京に引っ越す前からのパートナーとの子どもだった。
社会起業家の夢以上に夢だったのは、母親になることだったことを思い出した。

東京を離れ、滋賀県で在宅勤務として出産ぎりぎりまで働き、2019年3月末、母親になった。

それからも、育児と仕事の両立に模索する中、2020年、コロナ禍突入。
飲食店とともに、うちの会社もそれはそれは大変な苦境に陥った。

2020年6月。会社を去り、コンサルとして独立することとなった。
とにかく頂けるお仕事を精一杯やる。
自分からは営業しない。
そんなこんなで、1年間はなんとか生き延びれた。

2021年からは親ひとり子ひとりとなり、目まぐるしい毎日のまま、30代に突入する。

息子も、誰に似たのか、口達者になってきた。
私も負けず劣らず、30歳になっても、喋り倒していきたい。
文章だったとしても、やかましいよね。
ここまで読んでいただいた皆様。
そしてこの30年間で出会ってくださった皆様。

本当にありがとうございます!
20代がこんなに濃かったので、30代がますます楽しみです!!

これからもお世話になります!!!


20代最後の日の黒田より/2021年8月12日

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