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ホリスティック医療にたどり着くまで①ーいき過ぎた医療ー

 
ホリスティック
「人間まるごと」と訳されることが多いです。
 
この日本語に訳しにくいホリスティックという感覚。

今回は
なんでわたしがホリスティック医療というものに
たどり着いたかというお話をしたいと思います。
 
書いてみたらなんか長くなってしまったので
パート①パート②に分けてあります^^

______________
 
わたしは新卒で
大学病院で看護師をしていました。

80歳90歳になっても
肋骨が折れるような心臓マッサージしたり、

人工呼吸器のマスクをつけて
苦しそうに最後を迎える患者さんをみることがありました。

また、特に症状がなかったのに、
検診で肺癌と診断されて
見た目が元気なのに化学療法をして
どんどん患者さんらしくなる患者さん
を見ることも。

 
認知症で心不全(心臓が弱っている状態)の患者さんが
点滴を抜いてしまったり
心臓のために安静にしなくてはといって
鎮静剤を打ったりミトンなどの抑制
をしたり。

 
そんなことがあるあるな現場で
忙しなくはたらく中で
あれ、医療ってなんだろなって
思うことは少なくありませんでした。 
 

人が幸せであるために
医療がある
んじゃなかったけ、、と思いました。


その病気を乗り越えたら、
症状がよくなったら幸せになる?
たしかにそうかもしれません。

でもその当時のわたしはそうに思えず
その現実の中にいるのがなんだか辛かったのです。

 
もちろん
医療が悪いとか医学の発展が悪いとか
そんなことが言いたいわけではありません。
 

いまだに治療法が確立されていない病気、
発症原因不明の病気、生まれながらの病気、、。

医学の進歩を待ち望んで、
明日にはもしかしたらこの病気が治せるかもしれない、、!と
医学の発展を希望として、今を生きている人たちがいます。

 
医学の発展は希望の光として
なくてはならないと思っています。

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今もコロナワクチンや
コロナに対する新薬を開発してくれる人たちが
いるからわたしたちは未来に希望が持てるわけです。


でも、医学の進歩がある中で
それぞれの患者さんに使っていく
医療はちゃんと考えられるべき
と思いました。
 
 
それはもちろん
医療者の考え方や説明の仕方が大切ですが
医療を受けるわたしたち一人ひとりの人生の選択です。


でも、当時は
なぜ人生の最後にこんな苦しむ人たちが多いのか
その人生の選択がしにくいのか
よくわかっていませんでした。


モヤモヤを感じる現場の中で
その人の生きるチカラを支えるには
寄り添うことや、笑顔、癒しを感じる
こと

それらが患者さん自身の生きる力を
増やすのではないか、と
感じるようになりました。

 
この看護師ひよっこ時代は
まだ全然ホリスティック という言葉はつゆしらず。
 

この時期のわたしは
西洋医学ってちょっと変だぞ。
人が生きるってなんだ?死ぬってなんだ?

やりすぎな治療がある気がするぞ。
その人が納得して死ねるってあり得ないことなのか?

人が死ぬってことはみんなにあり得ることなのに、
あまりに死を先延ばししていないか?
 

みたいな、ことを考えていました。
 
そこで
「いき過ぎた医療」という観点から
わたしの居場所はここじゃない、、。
医療の足りないところだ!と勝手に意気込み
JICA海外協力隊でセネガルに乗り込みました。

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JICAの目的が
「世界が平和になること」
というのは
当時のわたしをとてもワクワクさせました。

わたし個人の思いとしては
「世界の医療の足りないところで
 自分が何かできるなら手伝いたい」

こんな感じだったと思います。
 


次回予告!
セネガルで気づいた
人間の生きる力からホリスティック
へ。


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