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死が怖いという感情は命の期限を切られた苦しみ。


 
目の前の患者さんが
怖くて不安でどうしようもない時がある。
 
そんな患者さんと向き合うと
死に向き合うときに
この恐怖という感覚から
病気が認められなかったり
現状を否定して良い方向に考えたり
現状がきちんとみられなくなることがある。

そうだよなあ、怖いよなあと思うし、
なんでなんだろうとつよく思う。

「死が怖いという感情は命の期限を切られた苦しみ。」
これは、ある人が言っていた死にたいする恐怖心の考え方。
なるほどなあと思う。
 
わたしは、死が怖くないといったら嘘になる。
怖い、だって体験したことないんだもの
不安だ、痛いかもしれない、苦しいかもしれない。

でも、死はみんなに来るもので
それは明日かもしれない、
でも100歳の時かもしれない。
 
死を意識するというのは
苦しいことかもしれないけど
 
わたしは、中学生くらいから
何故だか死というものに興味があって
生きてるってすごいなあと
空を見ても、海を見ても、空飛ぶ鳥を見ても
なんでこんなに感動するんだろう、、?
わたしもしかして明日死ぬのかしらって思って生きてきた。
 
波打ち際で2時間ぼーっと過ごす時も
人間てちっぽけだなあ、って
生かされてるだけだなーって思ったのを覚えている

それは今でも変わらないし
むしろ、
もっと大きく宇宙やらエネルギーやらの観点からも
やっぱり人生は大きく決められているものなんだろうと思うようになっている

 
そんな感覚があるからか
海外旅行や誕生日の節目など
ことあるごとに遺書を書いてきた。
 
また、
やりたいこと100リストというのも
20代前半に書いて以来定期的に更新している。
やり終えたことも含めて250項目以上はリストがあるだろう。

 
やりたいこと、行きたいところ、ありたい自分
未来というか明日に希望がいくつもある。
だから、毎日生きていける。
 
だから、患者さんが病気で死とむきあうときも
希望というのはとても大切だ


まだ続くものだ、と思っていた明日が
絶対じゃなくなるとき
よりいっそう、その生きている一瞬が輝くのではないか。
 
わたしはそうに思っている
でも、この考え方は誰にも強要はできないし
人それぞれ、で良い。
 

たまに、死んでみるのがいい。
死を想像するのでも、大切な人がいなくなるのでも想像してみる。


そんな疲れること毎日しなくてもたまにでいい。
そのたまにがあったら
変わらぬ毎日にもっと感謝できるんだろうナア。

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