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ホリスティック医療にたどり着くまで②ーセネガルで気づいた神様のチカラー




なんでわたしがホリスティック医療というものに
たどり着いたかというお話のパート②です。

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勢いでセネガルに行ったわたしは
イスラム教の現地の人と暮らす中で衝撃を受けます。
 
「明日10時から会議ね、インシャーラー」
わたしはもちろん10時にいきます。
でも、翌日10時になんて誰もきません。笑
このインシャーラーという言葉は「神様が望んだらね」という言葉です。
 
なんじゃそれーーー!と思うことがたくさんでした。


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セネガルの2年の経験は
もう自分の価値観をぶっ壊されることがたくさんおきました。

そして、自分で自分が嫌いになるくらいたくさん怒りました。
感情のままに怒ったり悲しくなったり、嬉しくなったり。

わたしはこんな怒る人じゃないって思いたくても、
自分の価値観と違うなかで生きていると
もう次から次へといらっとすること
が起こります。

 
そのセネガルの生活の中で
イスラム教の神様アラーの存在はとにかく大きかったです。

地域にいるシャーマンのようなマラブと呼ばれる一目置かれている人の
おまじないのような治療を見たときは本当にびっくりしました。

子供ちゃんの髪の毛に白い糸が巻かれていたので、とってあげようとしたら
おばあちゃんに怒られたのです。

なんでやねん!と思ったわたしでしたが、
わけを聞いてみると、
子供ちゃんの肌荒れを直すために、髪の毛に白い糸を巻きつけてもらったとのことでした。

わーお、そんなことあるかいな!と
そのときのわたしは思いましたが
これもセネガルではあり得ることなんだなあと
セネガル生活に慣れてきていたわたしはすんなりを受け入れました。

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これは、今ホリスティックの捉え方からすると
まさにBODYからだ MINDこころ SPRITたましいでいう
MINDやSPIRTの部分への働きかけだったとわかります。

  
だって、科学的に髪の毛に糸を巻きつけることが
肌荒れになんの関係があるのかと思いますもんね。

 
その子供ちゃんに後日あったときは
時間によって良くなったのか
そのおまじないによって良くなったのか知りませんが
たしかにお肌は綺麗になっていました。 
 

そんなセネガル生活をしている中で
わたしは、大学病院時代の西洋医学へ感じた思いをベースに

この自分の身体の反応が
直接的な身体への医療だけではなく
こころやたましいを通した影響の強さを感じていきました。
 

また、
人生の軸に神様がいるということから

人生は大きな流れが決まっていて
生まれたときから死ぬときまで全てのことは決まっている
のでは、という感覚も抱くようになりました。

(わたしがめちゃくちゃ頑張って国試に受かることも、
 まさかのここセネガルに行ったことも、
 今このブログを書いていることも)


セネガルの生活の中では
 
アクシデントで若い人が亡くなり、
とてもとても悲しいことがあっても最終的には神様がそうにしたんだと慰めたり

病気が良くなったことも、神様が治してくれたんだといってきたり

わたしがセネガル人に御馳走したときも神様に感謝したり
(当時のわたしはわたしがおごったんだけどってめちゃくちゃ主張しました)

老衰で亡くなるおじいさんがいる時も、
食事介助はせず神様が食べさせたいと思ったらおじいさんが自分で食べるんだよっていっていたり。

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生活の頼みのピーナッツ畑が大雨で流されてしまったときも
オーララーと言いながらも
神様が、、という思いで受け入れる様子を見てきました。
 

もう、神様神様っていってるから発展しないんだよ。
みんな神様のせいに、神様のおかげにしやがって!
(セネガルを思い出すと言葉使いが悪くなる、、!笑)
 
と思っていたのも事実ですが、
それ以上に、わたしも神様を身近に感じるようになりました。

 
そんな中で
自然治癒力という言葉が浮かんできました。
一人ひとりの持っている生きるエネルギーみたいな感覚で。

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さっきのおまじないも
マラブという人が治したというより
その子供ちゃん自身やおばあちゃんの治るという気持ちを上げてくれたんじゃないか
 
大学病院時代に感じた違和感は
その人自身の生きる力(自然治癒力)を通り越したところまで頑張らせてしまったからでないか。
 
そうに感じました。
 
この自然治癒力という言葉から
ホリスティック医療にたどり着くのに時間はかかりませんでした。
 
 
そんなこんなで
セネガルから帰ってきて
ドンピシャであったホリスティック医学協会のシンポジウムにいきました。
(これもたまたまホリスティック医学協会で働いている友人がいてチケットをくれたわけです!)
 

そのシンポジウムで
いちばんよくわからなく面白いお話をしていたのが
今のわたしの病院の名誉院長でした。

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当時のわたしはこれダー!と思って
今の病院の就職試験を受けた訳です💓
 
 
以上がわたしがホリスティック医療にたとどりついたプロセスでした。
読んでいただきありがとうございました^^


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ホリスティックという「人間まるごと」という言葉は
身体、こころ、たましいを含めて
その人自身を見ていくっていうことなのです。 

ひいては
人だけでなく、地球、宇宙全体の話です💓
 

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