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その人の生きる姿勢を 側で見守るっていうのは難しいことだなあと。

 
患者さんのニーズが
ただただ「生きる」ことだった
 
親がいるのに
まだ死ねない
 
子供は成人したけど
まだ心配だし
 
旦那とも
まだこれから
一緒に過ごしていきたい。 
 
わたしが死ぬわけには
いかない。
まだまだ生きたい。
 
40代のがん患者さん。
苦しくて苦しくて…

でも
「治す、そして生きる」
という目標に向かって
 
化学療法したあと
ワクチン注射したり
サプリメント飲んだり
ホメオパシー飲んだり
アロマ、鍼灸、マッサージしたりしてた。
 
毎朝ベッドの上で
お祈りして
何しても
ありがとうありがとうって
言ってくれる人だった。
 
苦しいのに
笑って冗談いって
わたしたちを笑わせてくれたり。
 
 
でも痛みや苦しさが
強くなって
モルヒネ使いながら日々過ごしていた。 
 
苦しくて苦しくて辛いから
少し眠れる薬でも使おうかというと
「眠ったら起きれないかもしれないから」と
頑なに拒んだ
 
私たちはもっと楽に
今を過ごせるように提案するけど
なかなか受け入れてもらえない。
 
生きる、ってことに
とてもこだわっていた。
 

わたしはその現場にいたとき
なんでこんなわかってもらえないのだろうと
患者さん側の気持ちが理解できなかった

 


自分たちが最善と思う方法以外
選ぶ患者さんがわたしの病院にはたくさんいる。
 
でもそんな
患者さんを支えたり
病状の進行を見守ったり
本人が良いと思う行動を尊重する。
 
言葉で言ったら本当に
よく聞く言葉なんだけど
 
わたしたちは医療者で
患者さんの思いに
寄り添いたいと思う一方

人間で一個人として
「もっとこうした方がいい」
という思いがあって

患者さんの生き方を尊重するのは
ほんとうううに葛藤がある。
 
お仕事だし
他人の人生であり
自分はただの寄り添う人であると思うと同時に

そばにいて思いを聞いたり
一緒に過ごす時間があればあるほど
自分の感情は切り離せなくなるものである。

 
 
苦しいなかで
最後まで生きようとして
旅立った患者さん。
 
改めて
その人の生きる姿勢を
側で見守るっていうのは難しいことだなあと。

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