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死にたくなかった。


患者さんが旅立った部屋で祈っていたら
「死にたくなかった。」
わたしには、そうに聞こえた。

先日あるひとりの患者さんがなくなった。
 

ひとりひとりの生命の重さは、そう違うはずないのだけど
この1年間深い関わりを持った人だったのもあって
ポッカリと気持ちが持っていかれてしまったようだ。


この一年、その人に寄り添う中で
死って、怖いなあって改めて思った。

死、それ自体も
もちろん不安を抱くものではあるけど

死に向き合うこと、
そして恐怖や不安で死に囚われてしまうことが何より怖い
今を生きられなくなってしまうからだ。
 
 
不安てなんなんだろう。
いつかくるって分かってても
まさか自分にはって思うんだよね。

誰にでも、ぜったいくるんだけど。
 

苦しくてたまらなかった。

現実を捉えきれず、
どんどん悪くなるその人を見ているのが。
「どうしてなんだろう」不安そうに話しているのが。

辛いと言ってるのに麻薬に対する拒否感があることで
疼痛コントロールがうまくいかないことが。

本人もこころの中では分かってただろうに
その思いを表出することができないのが。

私たちもそれがわかるのに、
その人の苦しみに向き合うスキルがなかったことが。

とにかく支持的に関わること
少しでも思いの表出ができればと思ったけど
間に合わなかったみたいだ、、。

 
死が怖い、
だからいつも希望を探していた。

Drからの話を
解釈でいいように受け取ったり
エネルギー送ってもらったり
サプリメント飲んだり
いろいろ代替療法に来てもらったり
いろんな人に情報もらったり、、、。

もちろん、
どれもこれも治癒に
はたらくとても大切なことだ。

やれることがない、希望がない、というのは
何よりもその人を苦しめるから
だ。
 

でも、
やっぱりバランスが必要なのだ。
希望を探す一方で、
どこかで死をかたわらにおくこと
が。

自分はそんな状況に置かれたことないのに
それを患者さんに求めるなんてほんと勝手だなと思う。

 
がんになっても
がん患者を生きる必要はない。

がんであっても、わたしはわたし。
たましい(いのち)がやりたいことに気づいていると
自分を生き続ける
ことができる。
 

がんになってできなくなることもあるなかで

がんにならなかったら
気付けなかったこともある

教えてくれる。
 
患者さんたちの目が教えてくれることが
たくさんある。
 

苦しくて鎮静のなか、
うとうとしてるその人の目から

「もっと生きたい、死にたくないよ」
「どうしてこうなってるの」
わたしにはそうに聞こえた気がした。
 

・・・。


でも。
完璧な死なんてない。
どんな生き方も、死に方も
すべてはそうゆうもの
、なのだ。

苦しくなるくらい悩んだ。
わたしたちに何がしてあげられるんだろうと。

一緒に涙を流して、
背中をさすって
夜眠れるように工夫して
今日も朝が来たことを喜んで
一緒に朝日を浴びて
TV見て食べられないのに食べたいねとか言って
スマホで面白い写真を撮ったりして。
 

ひとりじゃないよ、みんながそばにいたよ。
苦しいなか本当にがんばったよ。
ゆっくり休んでくださいね。

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