小学校3年生の通学路 (リアルテキスト塾課題)

父の仕事の都合で転勤族だった私は、幼稚園年長〜小学校3年生までの期間を、大阪の豊中市で過ごした。

大阪といっても、私の住む桃山台は、マンションが建ち並ぶベッドタウン。

同じく転勤で来ている家族も多く、関西弁は一切うつらなかった。その後、岡山・札幌・福岡を転々としたおかげで、各地のごちゃ混ぜ標準語を話す人にはなってしまったが。

話を戻して、私が住んでいたのは、8階建てのオートロック付きマンション。
1階には小さなエントランスホールがある。そこを妹と占拠して、よく人形遊びをしていた。家でやればいいものを、なんとなくエントランスジャックがしたかったのである。

母は昔から手先が器用で、私の熱い要望でお人形さん用の下着を作ってくれた。なんでそんなお願いをしたのか覚えていないが、少なからず大人への憧れ、性への意識があったように思う。

かくして、白レースのブラジャーとパンツを装着した、なんとも艶かしいリカちゃん人形で、私たち姉妹は人形遊びをしたものである。

エントランスを抜けると、マンションの隣には小さな教会が建っている。

休みの日には、神父さんのお説教のあとに配られるお菓子目当てでよく通った。
近所でケイドロをして走り回って疲れたら、教会の入り口に設置してある水飲み機で喉の渇きを癒した。
子供にとっては、宗教も神聖な場所も関係ないのである。遊び場のひとつなのだ。

教会を通り過ぎると、集団登校の集合場所だ。と言っても、集団登校していたのは小学校2年生まで。

昔から朝が苦手で、寝起きの状態で人と話をしたくないというのが1番の理由である。一緒に集団登校をしていた高学年の女の子に「あべちゃん‼︎」と呼ばれたことが決定打だった。下の名前である彩花ではなく、そんなに好きではない名字の阿部に、ちゃんを付けるという呼び方がなぜか当時は許せず、イラっとした感情を今でも覚えている。全くもって、変な自我である。

そんなわけで、小学校3年生からは、同じマンションに住む親友の橋本文と2人で登校していた。

文とはクラスも同じで、気の合う私達はいつも一緒。活発でスポーツも出来て賢い文と私が揃えば、最強の2人だと思っていた。(現に、クラスの男子からは、その立ち振る舞いから「暴力団リーダー&副リーダー」と呼ばれていた。)

マンションの裏手に回る。しばらく歩くと、竹やぶが見える。

池をぐるっと囲んだ、細長いでこぼこ道だ。集団登校では通らない、ショートカットコースである。

「ヘビが出るから通ってはダメですよ。」学校の先生はそう言っていたけれど、そんなのへっちゃら。だって、私達は最強の2人なのである。

文とゲラゲラ笑いながら、竹やぶをずんずん進む。

話題は、当時大ブームだったポケモンについてだったかな。文のニャースの声マネが面白くて、ニャース声のまま会話をしたりしていた。

坂道を登る。学校の裏門まで、あと少し。

学校の目の前には、白い4階建てのマンションが建っている。当時私が好きだった、山本達也が住むマンションだ。

山ちゃんは、面白くてドッジボールが上手くて、クラスの人気者。タヌキみたいな顔の子だったけど、そんなのどうでも良くて大好きだった。

よく、一緒にポケモン対戦をして遊んだ。強かった。150匹集めた山ちゃんは果てしなくポケモンマスターに近かったのだけれど、負けず嫌いな私のために、とっておきのポケモンを何体か譲ってくれた。こんなことでキュンとなる。リアルな小3の恋事情である。

そんな山ちゃんも、門の前で、たまに合流する。山ちゃんの相棒である、浜ちゃんも一緒だ。

4人が揃えば、もう話が止まらない。門をくぐる。楽しい1日の始まりだ。

なんて、わくわくだらけの青春‼︎‼︎

その1年後、私は岡山市の小学校に転校となる。

当たり前だった日常が、変化する。築いてきたコミュニティを離れ、また0から形成する。

…くよくよしててもしょうがない、明るく笑っていくしかないよね‼︎

ここから、私の根拠のないポジティブ思考が始まったのだと、この文章を書いて再確認。

経験と、そしてその時々の判断・行動が、人格をつくっていく。人生を変えていく。

下でもない、上でもない、狭間に揺れる小学校3年生。
あの時の経験が、今の自分をつくっている。あー面白い‼︎