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Mirror

現実と夢の狭間




「死ねばいい」



19歳の頃の私
鏡に映る自分を見ては
そう心の中で呟いていた




その当時
私は岐阜県の
とある金融機関で働いていた



週休二日でボーナスもあり
就職先としては一番人気の職業だ



聞こえは良いが高卒で
給料は税金や積立預金などを引かれ
月7万円程



そこから3万円の生活費を母に渡すと
3〜4万円ほどしか手元には残らなかった



母の手前
世間体を取り繕う為だけに働いていた




私には小さい頃から夢があった




歌手になる夢



歌を歌うことが大好きで
就職してもカラオケや
スナックに毎晩のように
連れて行ってもらっては
歌を歌っていた



でも岐阜の田舎で四人の子供を
一人で育ててきた母親に

そんな事は口が裂けても言えなかった


中学でも高校でも
担任の先生までが


”早く就職してお母さんに
楽させてあげなさい”

と言った



高校の体育の教師も

’お前らのような何の取り柄もない人間が
間違っても夢など追うなよ’

と吐き捨てた



ヒドいと思った



でも商業高校に行けば
事務系の資格をたくさん取得できるので
短大卒や専門学校卒の人と
同等の就職チャンスがあると言われた時



夢を断ち切られ
大学に行く選択肢もないのなら
早いうちに就職する方が賢いと思った



目の前にある現実を受け入れよう



そう自分で自分に言い聞かせ
言われるがまま資格を取り
この仕事に就いた




母親も喜んでいた




そう…母親のために




苦労をさせた母親のために





これで良い



これで良いんだ





そうやって自分を
無理やり押し殺して生きていた



そんな自分が嫌いだった



いつの間にか自分の事も
周りもどうでも良くなった




人というのは不思議で




自分に魅力がないと感じると
全てに魅力を感じなくなる




生きていながら
死んでいるも同然だった



こんなにも自然に恵まれた
素晴らしい環境で育っていながら



私の住んでいる場所は
山と川しかない「何もないところ」として映った



ここじゃないどこかへ逃げたい
それを叶えるためにはお金が必要だ



お金さえあれば自分の夢はきっと叶う
きっと幸せになれる
早くここから逃げ出そう




そしてその焦りは
負のスパイラルを産んだ






名古屋の男との出会い



知人に勧められて参加した2泊3日の
トラウマを克服するセミナー」で
自分の中のネガティブな気持ちを
解放するという時間があり


参加者同士でペアになり
どちらか一方が目隠しをし
心に思っている事を全て言葉にして吐き出し
その相手はただただそれを聞き
必要であればバグや背中を
さすってあげるという時間があった


小さかった頃
親から受けた虐待を
トラウマのように抱えていた私


自分を抱きしめ「大丈夫だよ」と
言ってもらえたことで楽になった

そして相手の男性も
初日はぶっきらぼうな態度を取っていたが
セミナーが終わる頃には
泣きながら自分の過去を話し
トラウマから解放された喜びで
満面の笑顔を見せるようになった


その男性が愛おしくなった


そしてセミナーが終わった後
二人は交際を始めた


その人は名古屋でヘアサロンの店長をしていた
髪を切りに行くと私を宝物のように扱ってくれた


だが実はセミナーが終わった後
交際をしたり
個人的に会ってはいけないというルールがあった

よく考えてみれば
初日から見ず知らずの人間同士が
いきなり自分の過去をさらけ出し
泣きながら慰め合うのだ

セミナーで与えられた課題をクリアしただけの
特殊な関係にも関わらず
愛情だと勘違いしてしまうのだろう




だが人は”会うな”
と言われると逢いたくなる



私は名古屋に住むその男性の元へ
岐阜から毎週末
足繁く通った


会いたい


美味しいものを作ってあげたい
そしていつか岐阜の実家を出て
その彼と一緒に名古屋で住みたい



魔法をかけられた19の娘は
昼間の仕事だけではお金が貯まらないため
金融機関でヘトヘトになるまで働いた後
夜はカラオケバーでバイトを始めた


バイトの時間は限られてはいるが
すぐに帰って寝る事ができず
不眠症に陥りほとんど寝ずの状態が続いた



疲れが溜まり朝礼中に居眠りをし
上司に怒鳴られるほど
憔悴し切っていた





交通事故



ある金曜の夜

いつものように金融機関で働き
夜はカラオケバーのバイトをして
そのまま名古屋の彼のところへ
車で向かっていた


途中何度も寝そうになり
焦った私はいつもより
スピードを出した



結局彼の家の目と鼻の先のところで
停車していた無人の車に
ノンストップで激突



バン!!



という鈍い衝突音と共に
顔に激痛が走り目が覚めた


あまりの衝撃でぶつかった車に乗り上げ
ガーというエンジンの空回りする音が鳴り響いていた


私の顔は粉々に割れたフロントガラスの中に
めり込んでいた


目を開けたが生暖かい液体が目に入り
何も見えなかった


血だった


「ああ…私の人生は終わった」と思った



いつ爆発するか分からないので
とりあえず外に出ようとしたが
足が動かなかった

右膝を触ると硬く尖ったものが指に触れた



シートベルトをせずに運転していたので
ダッシュボードの下で
右膝を打ちつけ膝が破れたようだ



おい!!大丈夫かーーーー?
誰かの声がする


私:はい… 大丈夫です
でも膝が痛くて外に出られません



おーーーー
それは無理だわ
ちょっと待っていなさい



そのまま私は救急車で運ばれ
いくつかの病院をたらい回しにされた後
事故現場からかなり遠くの
医大病院に担ぎ込まれた


着ていた服をハサミで全て切られ
手術代の上で全裸にされ
尿管に管を入れられた時
あまりの痛さと惨めさに涙が止まらなかった


自分の右膝の皿が
木っ端微塵に割れ飛び出しているのが見える


顔面を触るとガラスの破片だらけだ



医者:今からひざの再生手術をするね
外に飛び出してしまったひざの一部は
右のすねの骨を少しだけ削ってそこから形成します
その後にワイヤーで固定します


術中は全身麻酔だったが
時々目が覚める瞬間があり
その際に電動ノコギリのようなウィーンだとか
ノコギリでギコギコする音
またコンコンと金槌で打ち付けるような音が聞こえ
まるで大工の仕事を間近で聞いているようだった




目が覚めると病室のベットの上



顔は包帯でぐるぐる巻き
右足は付け根から足首までギブスで固定されていた



何時間にも及ぶ手術の後
私はそのまま3ヶ月入院する事になった



成人式を1週間後に控えていたのに


この日のためにローンを組んで買った
300万円もする京都の西陣織の振袖は
着ること無く箪笥の肥やしとなった

医者からは膝の手術は成功したが
一生正座はできないだろうと言われた

数日後に顔の包帯を変える際
自分の顔を鏡で見ると
顔中に小さなガラスの破片が刺さったままで
両眉毛が吹っ飛んでなくなっていた



私はこれからこの傷だらけの顔で
足の曲がらない障がい者として
生きていくのか



一体私は
なんのために生まれてきたんだろう?


なんのために
ここまで生きてきたんだろう?




病院のベットの上で
鏡を見ては毎日自問自答した




母親は私の顔を見るなり
心配するどころか怒鳴り散らし


一体この手術代や入院費はどうするんだと
お金のことばかり気にしていた




その時





「死ねばいい」
そう思って生きてきたが
もう止めようと思った



自分に嘘をついて生きるのはもう止めにしよう




私はこんなところで死ねない
死ぬ訳にはいかない





母親のためとか世間体だとか
そんな事のためではなく





自分のために生きなければ
一体何のために私は生まれてきたんだ



今まで感じた事のないエネルギーが
私の中で沸き始めた




身動きの取れないベッドの上で
生まれてから今日までの事を考えた


楽しかったこと
嬉しかったこと
嫌だったこと
悲しかったこと


一つ一つを思い出していくうちに


そうだ


私は小さい頃から何もよりも
歌を歌うことが好きだったんだ



自分を解放してくれたのは歌だった



私は歌手になりたかったんだった



19歳の今が人生最後のチャンスかもしれない



歌手になる夢を諦めたくない


退院したら名古屋に出て
彼氏と一緒に住み
歌手になるためのチャンスを掴むんだ



気持ちが前向きにシフトし

その日を境にリハビリを全力で頑張った



膝がまた割れるのではないかと思うほどの
激しい痛みを伴いながら
曲げ伸ばしのマッサージを受け


のびきってしまった筋や筋肉を
鍛えるために歩行の練習や
プールの中でのエクササイズを
歯を食いしばって頑張った


最初は前に
足を出す事も出来なかったのに



徐々に膝を曲げられるようになり
車椅子から松葉杖へ

そして3ヶ月後には
自分の足で歩けるようになり退院した


信じられない事に
半年後には膝の皿が元に再生し

中に入れたワイヤーも
無事外す事ができた


膝の皮膚の表面は
グチャグチャになったが
膝はちゃんと曲げられるようになり




顔の傷もあんなに酷かったのに
眉毛はまた綺麗に生え
ガラスの破片も傷口のかさぶたが剥がれると同時に
少しずつポロポロと出てきて
ほとんど完治した



私は死にたいどころか
全身全霊で生きようとしていた




職場には復帰したが
年内いっぱいで辞めると辞表を出し
名古屋へ行くことを決めた



ここまでのエネルギーが
自分の中にあったことに驚いた



好きな人のために
自分の夢を実現するために

必死でリハビリをし


生まれて初めて実家を飛び出し
名古屋という都会で
新しい生活をスタートさせるのだ




ワクワクした気持ちで彼の元へと向かった




彼氏の裏切り


病院にも何度か足を運んでくれ
退院したら一緒に住もうと
励ましてくれた
優しい彼は



いざ住み始めると豹変した



仕事から帰ってきても
テレビばかり見て
口も聞かなくなった


私が半日かけて作った夕食も
チラッと見て「いらない」と言い
一口も手をつけず
コンビニで買ってきた安い菓子パン
食べて寝るようになった




ある日



実はさあ…
という素っ気ないノリで


婚姻関係のない女性との間に
子供がいる事を告白された



その女性は彼が勤めている
ヘアサロンの従業員だった




信じられなかった



震えが止まらないほどの
怒りとショックで
そのまま泣きながら
アパートを飛び出した



騙されていたと知った私は
その後彼が何度連絡をしてきても


例え彼が土下座をして謝っても


許せなかった



彼がお店に行っている間に
荷物を取りに彼の部屋に入った時


壁中に彼の手書きの謝罪メッセージが
貼られていたが泣きながら破り捨てた



私は彼に逢いたくて
昼も夜も働き
そのせいで事故を起こし
3ヶ月も入院したのだ



退院したら彼と一緒に生活できると信じ
拷問のようなリハビリを毎日受け
やっとの思いで退院したのに…





オーディション



私はそのまま彼に別れを告げ
近くに住んでいた姉のうちに
少しの間居候させてもらい


その間に総合商社の経理の仕事を見つけ
仕事の合間を見ては
ボイストレーニングに通い始めた



そしてその頃「デビュー」という
オーディション雑誌
があり
ピンときた歌のオーディションを選んで
カラオケボックスに一人で入り
歌を録音したMDを送った

生まれて初めて
自分の歌をオーディションに応募した



すると第一審査に受かり
第二審査も受かり


最終審査まで残った



最終審査は公開オーディションで
名古屋の大きな会場で歌を歌った


最終審査まで残ったのは10人ほど
そのうち三人のファイナリストは
ラジオで歌が流れる事になっていた



公開オーディションで私は2位だった



賞を獲ったからと言って
その後何かあった訳ではない



でも名古屋の
某タレント養成学校
の校長が
最終審査の場に来ており
私に声をかけてくれた


そして1年間その学校で
特待生として通わせてくれ
その時にダンスや歌・作曲方法を
教えてもらえた





私を励ましてくれた言葉



その後ファイナリストとして残り
ステージに立った時の
私の歌がラジオで流れた

それを偶然朝
仕事に行く車内で聞いていた
会社の上司が私を会議室に呼び出した




私はクビになると思い
ビクビクしながら会議室に入った



すると



ラジオを聴いたよ


あなたには歌手としての
才能がある



びっくりしたよ


君は歌手になりたかったんだね




私からのアドバイスをする




もううちの会社の仕事は辞めなさい



足掛けで夢を追うのではなく

本気で歌手を目指しなさい



その代わり



絶対歌手になってね


応援しているよ





そう言われた




雷を打たれたような衝撃だった




歌手になることを応援してくれる人が
この世にいるんなんて信じられなかった




嬉しくて涙がでた




友達にも母親にも
誰にも言われた事のない言葉


でもずっと
言って欲しかった言葉だった





そして覚悟を決めた





歌手になる



私はすぐにその経理の仕事を辞め
パチンコ屋でドル箱を運びながら
バイトの余暇の時間は全て
オリジナル曲の制作に充てた



まる一年

友達も作らず
彼氏も作らず

黙々と曲を作り
レコーディングをし
数曲のオリジナル曲を作った



そしてある日それを偶然にも
名古屋でクラブイベントを
オーガーナイズしている方に
聞いてもらえる機会ができた


仕上がりは荒いが
可能性はある
と言ってくれ
とにかくライブの場数を踏めと言われ
何度かクラブイベントに
私を出演させてくれた


彼のおかげでオリジナル曲を入れた
カセットテープも手売りする事ができた



彼には今も感謝をしている



他にもCM業界で働いている方と出会い
レコーディングスタジオに入り
アレンジャーや作曲家とその場で
セッションをしながら曲を作っていく
貴重な体験もさせて頂いた

その時も救われた



多くの人に支えられながら
シンガーとして
だいぶ地に足がつき始めた頃



名古屋の老舗CLUBで
東京のアーティスト達をゲストに呼んだ
巨大クラブイベントがあり

前述の名古屋の
オーガナイザーのお声がけで
地元のシンガーとして
前座で出演させてもらった


それが切っ掛けで
東京の音楽事務所の社長の目に留まり
渋谷の某CLUBから
第一弾アーティストとして
インディーデビュー
が決まり


その半年後


外資系のメジャーレコード会社から
デビューが決まった




歌手になるという夢が叶った



Mirror



時は流れ
私は現在ロサンゼルスに住んでいる



渡米しようと思った切っ掛けは
レコード会社との契約が満了し
一区切りするこのタイミングで

一旦フリーになり
歌手としての自分を
ブラッシュアップするため
本場アメリカで生の黒人音楽を
吸収したかったから


すべての手続きは
自分1人でおこなかった

アメリカには
ツテなどなかった


ニューヨークに飛び
ハーレムでアパートを借り
暇さえあればアポロシアターや
ジャズハウス、ゴスペルの教会に通った



一年の学生ビザで渡米した私は
どうせならロサンゼルスにも
行ってみたいと思い


ハリウッドにある音楽専門学校に通い
スキャットやジャズなどの
歌の表現やテクニックも学んだ



一年で帰国するつもりだったが
この毎日晴天で穏やかな
ロサンゼルスという街に恋をし

この街で地に足をつけ
結果を出すまでは
日本には帰らないと誓った



岐阜を飛び出し
歌手になるという夢を叶え
名古屋どころか
東京にも住んだが

求めていたものはそこにはなく
ニューヨークやロサンゼルスまで
来たけれど



どこに住んでいても
さまざまな試練が待ち構えていた





その証拠にいま


わたしは癌と戦っている


左胸は全摘してない

キモセラピーの副作用で
自慢のスーパーストレートだった
髪は抜け落ちた


白血球の数値が下がり
免疫が弱るので
一度風邪を引くと重症化し
2週間の間に
2回もERに駆け込んだ




19歳の頃体験した
地獄のような苦しみは
もうないと思っていたのに


神様は一体どれほどの試練を
私に与えるのだろう





でも今と昔を比べてみて
明らかに違う点が一つだけある





私は自分が好きだ



詐欺にあったり
騙されたり
事故を起こしたり
親を泣かしたり


失敗をたくさんしながら
必死で生きてきた自分が
愛おしくて好きだ



自己満足ではなく
私は多くの人から愛されている
その核心を持って生きている




もちろんそこに行き着くまでには
途方もない時間が掛かった



人生のほとんどを
私は自分が嫌いだと思いながら
生きてきた



でもそうすると
さらに負のスパイラルが大きくなり

追い討ちをかけるように
嫌なことばかり
連続して起きるようになる



だから



「自分の事が嫌い」とか
「人を信用できない」
と言っている人に出会うと




放っておけない





まるで19歳の頃の私を
鏡のように見ているようで辛くなる


手を差し伸べずにはいられなくなる



人は変われる





自分が変われたように
あなたも必ず変われる




その思いを綴った曲が『Mirror』



この曲を書いたのは2013年夏

8年前


最愛の母が癌で亡くなった直後だった



亡くなる1週間ほど前
母本人が私に「もう長くはない」
とテキストを送ってきた



母が癌で闘病生活をしていたのは
知っていたが
まさか危篤だとは知らず
いても立ってもいられず飛行機に飛び乗り
ロサンゼルスから岐阜の母が入院している病院へ駆けつけた



私はその時妊娠5ヶ月だった
でも母が急死し葬式をした直後に
流産した



ずっと子供ができなくて
やっとできた子だった



それなのに母も同時に亡くし
何も手に付かなくなった


生きる気力を失い
ロサンゼルスに戻れなくなった
前を見る事ができないでいた



その時も



負けずに今こそ曲を作ろうと
無気力になっていた私を
奮い立たせてくれた人がいた


ロサンゼルスに戻り
自分の全力で数曲を書き上げ
レコーディングした


できた曲を映像関係に詳しい方に聞かせ
この曲のジャケット写真と
ミュージックビデオを作りたいと伝えた


その方も曲を大変気に入ってくれ
彼の全勢力で撮影チームを組んで下さり
3曲分のジャケ写とMVを行って下さった




19歳の頃の自分に言ってあげたい





夢を諦めないで


あなたは1人じゃない
必ず仲間ができるからと





自分の全てを受け止め
許してあげてほしい





自分を愛し
周りの人たちの事を許し
あるがままを受け入れる事ができれば
きっとあなたは幸せになれる




そして




聞かせてあげたい
自分が作った「MIRROR」という曲を



この曲の大サビの部分でも歌っている


 心配しないで

過去なんて他人と同じで
変えることなどできない

でも

未来と自分だけは
変えられるんだと



そして今
片胸を無くし脱毛した

鏡に映る私に
向かって語りかける


「大丈夫。生きればいい」と

夢はエッセイ本を出すこと。サポートして頂きましたらエッセイの創作費に充てさせて頂きます。ご協力よろしくお願いします!