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レールから外れることがいかに重要か

先日友人とランチでいろいろ話す中で、「レールから外れた人が結果的に幸せなんじゃないか」という話に。昼間の優雅な銀座で何話しとんねん!って感情はいったん置いといて、たしかにそれはあるかもと思いました。

私は今とても幸せです。自分が自分らしくいられる時間が多いからです。
自分で仕事をはじめて一番いいなと思ったことは、好きな人と仕事をして、つまらない人とはビジネス以外で関わる必要性がないことです。人生で出会える人なんて世界の人口のほんの一握り。だから面白くない人や気持ち悪い人とプライベートの時間を使って関わるなんて、とてももったいない。飛行機に乗ったときに日本で公開されていない最新映画を見ないですぐ寝るくらいもったいない。

好きな人と時間を過ごし、本当に面白いことで笑い、1年前には想像していなかった出来事が起こる。
うーん、マンダム!
落ち込むこともあるけれど、私は元気です。

と、まぁ幸せに生きているんですが、同級生の中には鬱になったり自殺未遂したりする人もいます。
その人たちに共通して言えるのは、レールから外れることよりも死ぬ方が(鬱になるまで頑張る方が)マシという価値観だということ。そしてもう一つ共通点は学生時代に素晴らしい成績をおさめていること。いわば優等生。やっほー!優等生!

優等生と呼ばれる人たちって周りの期待の積み重なりもあって必要以上に責任を背負っている人が多い気がします。特に家が病院だとか、親が政治家だとか、そんな生まれつきの優等生は、「名を汚さないように」と、小さい頃からプレッシャーをかけられるのではないですか。実際どうなのかは知らんけど。
例えば典型的なものでいうと、「有名私立校に入らなければならない」「優秀な成績を収めなくてはならない」「無駄に遊びまわってはいけない」。そう教え込まれた、もしくは言われなくても空気を読んで自分自身に言い聞かせていた人が多いと思います。

今振り返ってみると、生まれながらの優等生ではない私も、知らぬ間に期待に応える&世間体を守る的な意識が生きていく中で芽生えていたような気がしています。

私は教育バリバリ家庭でもないし、いい意味で親は他人主義で、あなたの人生なんだから、あなたが決めなよ的なスタンスだったので、いい感じにやんちゃに育ちました。

でも好きなことをやっていたら運良く有名大学に進学し、スポーツでもイケてる成績をおさめたという、ただの結果でしかない事実が私を象徴するラベルとして、どんどん貼り付いていきました。そうすると人間不思議なもので、そのラベルがはがれないように、自ら「○○しなくてはならない」「こういう姿であるべきだ」というオリジナルルールを設けはじめるんです。その結果、大学4年での就職活動時には、それに恥じないようなラベルを手に入れるための企業選び(テレビ局とかDとかHとか)をしていました。

就職活動では大手企業しか眼中になく、「自分のやりたいこと」よりも、「有名な大手企業」という基準で選んでいました。結果、東証一部上場企業に内定をいただくのですが、入社して2か月で私は旅に出ますと告げ、フリーランスとして働くことにしました。

世間体重視系女子になっていた私が、なぜ躊躇なく入社して2か月で退職するという決断ができたのか? その理由は一度レールから外れたからです。

私は部活の兼ね合いもあって、大学で自主的に留年しました。自分がまさかの5年生、、、!とちょっと嫌でしたが、親は何も言わず、「長い人生なんだからいいんじゃない〜」という感じでした。
同級生は働いているし、就活終わったら暇だし、どうしようかなーと考えた結果、日本一周の旅に出ることにしました。
その旅の中で出会った人は私の経歴を知らないので当然、私を大学名やスポーツの成績で評価しませんでした。「キミなんかいいね!」と「何者かよくわからない私」をみてくれ、忘れていた自分自身の本質を感じた瞬間、今まで守ってきたラベル(世間体とかよくわからん期待)の価値は急降下しました。

レールから外れ、5年生になって、自転車で日本一周しなければ、今でも私は自分らしくいることよりも、世間体を重視して暮らしていたと思います。
まぁどっちがよかったのかは知らんけど、私は今とても幸せです。
あれ、最後急にめちゃくちゃ端折ったなって気付いた?
書くの疲れたんだよ!あと話した方が10倍は楽しく話せる!

次回は「キャバ嬢に飼われているチワワが背負わされている役割」に関して書きます!いや、嘘です!

じゃ!あでぃおす!


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