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発症

2018.07.16

当時、私は21歳。大学3年生。
6月には希望していたブライダルの会社で内定が決まり、やれやれなんだかんだ就活成功したぞ。これからプライベート自由が効きにくくなるから残りの大学生活充実させるぞ〜!って感じだったと思います。

この日は、地元で浴衣を着て練り歩こうというイベントがあり、美容師の父が髪の毛を、元美容師の母が浴衣を着付けてくれて、父・母・大学の友達キエと4人、浴衣姿で歩きました。

熱中症になってもおかしくないくらいとても暑く、私とキエがコンビニでアイスを買っている横で、母はビールを眺めて「うわぁ...いいな...」と言っていたので 今日くらいいいんじゃない?w と声をかけると嬉しそうに買って昼からビールを楽しんでいました。

一方、兄はガレージで甥っ子①とスイカのビニールプールで遊んでいました。この時はアンパンマンが好きだったね。

(この時甥っ子②は生まれてません。母からするとこの子は初孫)

キエと別れ、夜は高校時代の友達と月一で開催する焼肉に行っていました。しんちゃんという昔ながらの焼肉屋さんでお腹いっぱい食べて、スタバでドリンクを飲んで、公園で花火をして

そしていつも通り帰宅してお風呂に入って就寝しました。


まだ朝日も上がっていないような朝方、私はトイプードルのりおの鳴き声で目が覚めました。

普段から大人しく、インターホンが鳴ったときくらいしか吠えない子なので取り乱したように吠え続けるりおの鳴き声を聞いて心配になり、ゲージのあるリビングへ行きました。

そこには父と、ゲージの中で吠え続けるりおと、大きなガタイの男性が数名タンカを持って電話をしていました。救急隊員さん達でした。

トイレ扉の前にいる救急隊員さんの足元には、聞いたことのない呻き声をあげながらうずくまっている小さな誰かがいました。母でした。

今にも気を失いそうな状態でした。

当たり前ですが状況を把握できず、私はただ吠えるりおを抱っこしてなだめることしかできませんでした。

え、熱中症になりかけでビール飲んだせいで脱水症状になった!?ビール飲んでもいいよって言わなければよかった...?

それとも“あれ”?

そんなことを思いながら救急隊員さんに搬送先の希望を聞かれ、母は「◯◯病院だけはやめて...やめて...」と訴えていたので(多分口コミでいいこと聞いていなかったのでしょう)消去法で家から車で20分ほどの市民病院へ搬送をお願いし、“あれ”についても一応お伝えしました。

父から発見当時の状況を聞くと、トイレに起きて向かうとトイレ扉の所に倒れていたそうです。

とりあえず父が車で救急車についていく形で同行、朝になったら病院に来るよう言われました。

りおは母が誘拐されていくように見えたんだろうね。歯をむき出して一生懸命守ろうとしてくれていました。不安だよね。ありがとうね。

そうりおをなだめながら、うーーーん。なんかやばい気がするな。

そんなことを思いながら朝まで寝ました。


2018.07.17

病院へ向かうとまだ原因は突き止めれず、入院が決定。

多分大腸の方に何かしら異常があることだけはわかりました。

それを聞いた瞬間 “あれ”だ となんとなく察しました。

母は1〜2週間前から便をする度ひどい腹痛が起きて、出てもとても細いのが少ししか出ないと訴えていました。

身近で友達が腸の病気にかかったこともあって不安になり、検査の予約をしていて、その検査が今日でした。

検査は腸内を空っぽにしてから行うため、時間短縮のために前日の夜に利便作用のある薬を飲むよう渡されていました。飲んだその夜倒れたのです。

思い当たる節がそれしかありませんでした。

腸カメラを入れて診ようと試みてもなぜか入らないのです。

このまま無理やりカメラを入れると腸が破けてしまう。そう判断して仕方なく8月はじめにお腹を開く手術をすることになりました。

美に関して敏感な母。

お腹に傷が残るのをとても嫌がっていましたが、なるべくコンパクトに頑張る、担当の倉田先生はおっしゃってくれました。心強い。

迷惑や心配をかけたくないから、菖蒲は今ある予定を普通に過ごして欲しいと言われ、お見舞いもしつつ、大学に通ったり、ダンスの予定も控えていたので練習をしたり、シホと東京へ行き三鷹の森美術館へ行ったり、オカの内定祝いをしにご飯へ行ったり、ケーチャンとユウコとかき氷を食べにい行ったり、極力 いつも通り をする努力をしました。


2018.07.31

ここまででいろいろわかってきました。

腸が何かしらで狭くなっており、腸閉塞のような状態であること(だから腸カメラが入らなかった)、その位置がS状結腸辺りなこと、そして嫌なのが、腹水があること。

簡単に言うと16の夜に起こったことは、腸閉塞状態で便を出せないにも関わらず、利便作用のある薬を飲んだことで激痛が走り、どうすることもできず倒れた、ということです。

薬を処方したお医者さんはこんな状態、予想できるわけないので、今思えば防ぐのは難しかったと思いますが、安易に母に薬を渡したことを当時の私は腹の底から恨みました。

8月1日に現役医者の叔父さん(母のお兄さん)が来てくれて

2日に手術をし

3日に元看護師の叔母さん(その叔父さんの妻)が来て

4日に2人が暮らしている沖縄へ帰る予定が決まりました。

母は福島県出身で父と結婚して父の生まれた愛知に越して来ました。

叔父さん叔母さんは東日本大震災後、福島から沖縄に引っ越していたので、正確には私にとって福島の叔父さん叔母さんです。

【2018.07.31 母ノート抜粋】

急に入院してからもう14日。16日の夜から食べ物は食べて無いけど不思議なくらい食べた〜い気持ちは無くなっちゃった!あんなにお腹空いてたのに...。26日に倉田先生から告知されて本当に信じられず、ただただどうしようって!本当に青天のヘキレキ!
友達の話を聞いて今年は検査しなくちゃと思って、その時なんとなく、少しは痛みがあった気がする。早めに病院に行ったつもりだったのにナァ!
(兄)と話していると心が安らぐ。本当にやさしくて、良い子。
菖蒲は楽しくて、かわいい♡
二人とも、本当に、自まんの子供達。
パパはお店のことで傷つけることも言ってしまったよね。本当にゴメンナサイ!一番辛いのはパパなのに...。
菖蒲ともっと遊びに行きたい!パパとも出かけたい!
色んな不安がいっぱいで昨夜は寝れなかった。
外出した時、母娘とベビーカーを押している姿を見た。
あんな風になれるかなぁ〜。あそこまで生きてられるかなぁ〜。
ついつい不に考えてしまう。
この気持ちを前向きに、1つ1つ乗り越えて、これからの時間を大切に、ていねいに生きていこう〜。って自分に言い聞かせて。でもついつい、時々、涙が出ちゃう。こんなはずじゃなかったのに...。
明日、(叔父さん)が来てくれます。申し訳ないけど、今回は甘えます。(叔母さん)も気にしてくれて!!イヤイヤ、みんな心配してくれて...。有り難いです。私は、こんなにも心配してくれる友達がいてくれて!本当にうれしいです♡(兄嫁)もかわいい(甥っ子①)の笑顔も♡
倉田先生、辛いことの告知気を使ってくださってありがとうございます。毎日毎日、顔を出してくださって、本当にありがとうございます!笑ったら、かわいくって、いやされます。
明後日、手術!!
開けてみて、最悪だったらどうしようと思う恐怖だけど
まずは、1歩から
これからだよね
今から始まる
私!ガンバレ!!
(兄)が1時間半くらい居てくれていろんな話したわ♡

つづく。

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