ひなげしあるいはポピー

そしてアマポーラ。

春先から初夏のさわやかな季節に、赤やオレンジ、白やピンク色で野を彩る可憐な小花の名前です。

そして世界的に有名なラテンポップソングの
曲名でもあります。

スペイン出身のホセ・ラカジェ(José María Lacalle García)が器楽曲として発表し、別の人がスペイン語で歌詞をつけ、イタリア、フランス、日本に渡った後に英語に翻訳されたようです。

古くは淡谷のり子さんや沢田研二さんがカバーしています。

淡谷のり子さんバージョンは昭和12年。
レコード。

2-3クラーベのラテンのリズムを取り入れたり本格的なアレンジがゆたかな曲。バンドが主体なのも昔っぽい。

歌詞はまったくのオリジナルで、アマポーラという花を擬人化したようなイメージ。アマポーラはけしの花だよと解説してるのも親切だなと思う。

アマポーラ
南の野辺の赤い赤いけしの花
アマポーラ
あの人のこと思い悩む赤い花

見つめてじっと見つめて
赤く燃える花びら
雨にも風にも
愛しいけしの花

アマポーラ
情けを込めて赤く咲いたけしの花
誰かの口紅の色写し染めた赤い花

見つめてじっと見つめて
思い抱く口づけ
触ればこぼれる
風情のけしの花

淡谷のり子/ラポマア

それに対して沢田研二バージョンは、彼のブランディングを先行した世界観づくりがなされていました。

アマポーラ 見つめつづけて来た
遠い 歳月 心を焦がして
アマポーラ 清らかな天使
くちびるに 指さえ触れずに
アマポーラ 哀しすぎた
恋よ 求めても 面影 遥か
アマポーラ アマポーラ
今日も 夢路に 踊るよ

沢田研二/アマポーラ

さわやかさ皆無なポエムなんだけど、ワルツに乗せているところで軽やかさを演出しているのでしょうね。オケの豪華さに時代を感じます。

さて、原曲につけられたスペイン語詞を忠実に翻訳するとこうなります。

アマポーラ、なんて可憐なアマポーラ
いつだってぼくの心はきみだけのもの
きみが好きだ ぼくのいとしい女の子
花が昼の陽射しを愛するように

アマポーラ、なんて可憐なアマポーラ
嫌な顔しないでこっちを見てよ
アマポーラ、アマポーラ
どうしてきみはそんなふうにひとりで
生きていけるのだろう?

登場する人物像がぜんぜん違いますね。

沢田研二バージョンが、汚れを知らない天使のような女性との叶わぬ恋に身悶える男性だとしたら、原曲のほうは、見た目は可憐ながら芯の太さを感じる女性に太陽を仰ぐがごとく憧れる男性という感じでしょうか。

これまでもいくつかラテンポップソングをうたってきてるけれど、日本語カバーを聴くたびに、どれもわりと切なく悲しい恋のうたにすり替わっているのがいつも謎です。

演歌の影響なのかな?

ちなみに英語詞もまたちょっと違う内容になってます。

アマポーラ、ぼくの可愛い小さなポピー
きみは愛らしい花のように甘くて天に昇る心地
きみを見つけてからぼくの心はきみを包みこみ
そしてラプソディのビートを鳴らすようになる

アマポーラ、ぼくの可愛い小さなポピー
その愛らしい魅力を焼きつけておかなくては
アマポーラ、アマポーラ
きみから愛の言葉を聴けるのはいつだろう?

ほめまくった挙句に、どうせ最後はぼくを愛してくれるよね?の圧倒的ポジティブ感がアメリカっぽいと感じるのはわたしの偏見かしら笑。

こうやって並べてみると、日本人は遠くから眺めて悩んでいるだけで、相手とコミュニケーションとってないね。ほんと違いが面白い。

この曲は、ライブに来た方がわたしのイメージに合ってると紹介してくださって知りました。もちろんスペイン語バージョンですね。

いつも自分の琴線に触れたものを紹介するスタイルで選曲しているので、リクエスト曲をうたうのは慣れていません。曲とどう関係を結べばいいのか探り探りのところがあります。

しかしありがたいことに、リクエストをちょいちょい頂くようになったので、少しずつ練習をして披露していきたいな。

ちなみにこの曲は自分のなかの可憐さを愛でるようにうたうこととしました。

曲との接点を見つけて肉声に乗せること。どういう音が鳴ってるとその情緒や表現を表しやすいかイメージすること。

少しずつだけれど、新しいことを試しながらできることを増やしています。



読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️