aマッソ
学生の僕が最近の話をします
最近、といっても一週間前からですが、定期考査中であります
つい、今日それを全て終えたのですが、ふうテストが終わったと言って休んでいられるもの束の間、すぐに進研模試が後を追ってきます
定期考査というものは実に、簡単なものでして、それは、あくまで私の考えですが、私の学校に通う学生らは、その気になれば全ての教科で、満点は無理としましても、平均90点ほどは取れるのではと言った具合で、しかし彼らはそれを、無意味な試験と勝手に名付け、まるで嘲笑うかのように寝るのです。
そんな彼らも、模試となれば話は別、布団から一転して机へ向かい、人間本能的に勉強を開始し、当日では考えられないような得点を獲得するのです。
ただの愚痴である。このような話は人様に見せてはいけないと書く前からつらつらと解ってはいたのですが、いや、どうしても、このことを文字にて未来のそれに、大いに見せつけてやろうという強い意志が芽生え、このような形となりました。
この間、友人と話をしているとき、友人が日本人が話をするとき、倒置法を多く使うのだということを言っており、ああそうなのかとそこは納得しましたのですが、ここで1つ、疑問になったことがありまして、それは、倒置法は自分の言いたいことを強調するためによく使われる日本文法でありますが、人間は、対話の際、もちろん自分の主張を相手に伝えたい、そう思って望むわけです。倒置法は、ここでも人間本能的、例えば人間は生き続けるために呼吸を無意識にする、のようにそれは本能的にその文法を使ったのか、或いはある程度考えて使ったのかということでずいぶん悩み、鎮静した二人の会話はもう続くことなく、田舎のアビーロードをそれぞれ渡ったのでした。
近況報告、誰も見たくないですね
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