自分と仲良くなるのがまずは喫緊の課題じゃない??

私は、テスト、受験勉強の類はそこそこなんとかなっていた人間である。小学校、中学校とクラスで浮いていた、嫌われていたが、15歳の自分が書いた20歳の自分への手紙を読んで、残念ながら、大変に納得してしまった。中学校に入って、近所で厳しいと言われる塾に通った。授業も楽しく、友達もいて、塾では私めちゃめちゃ元気だった。クラスでコミュ力、運動力、容貌(気をつけてなかった)が最低レベルだった私にとって、勉強ができたことは結構よかった。見下してくるようなやつもたくさんいたから、あんたたちと私は違うって思い続けた(←最低根暗野郎である。これ、またどっかの記事で書きたい。自分が悪い部分が多いけれど、学校生活が辛かった話、みたいな??)。だから、大抵のことは勉強でなんとかなると思った。心のどこかで、間違っている。周りとうまくやっていくようにしなきゃと思っていたけれど。それでも、高校受験をし、家から近い県内トップレベルの進学校に入学するまではよかったのである。

部活を引退した。ひたすら練習に耐えて、今日も一日頑張ったわーと思う日々が終わった。自己肯定感が低かった私、少しでも偏差値が高い大学に入ってレベルの高い友達を作って・・・やりたいこと見つけて、なんてふんわりした理由で猛勉強開始!!いやもっと一生懸命4年間頑張れる学部見つけて、なんて大学生からつい最近に至るまでその時の自分に突っ込んでいたが、当時の自分そこまで考えられるわけない。県外にでたい、教員はマジで大変そうだからやりたくない、てゆーかマジで宿題が嫌いだったから理系は上手くやっていける気がしない、それだけ。いやマジでなんでお前大学入ろうとした??って感じなんだけど、高卒で社会に出られるものなら出てみたかったよ。働きに出ちゃって大丈夫っしょって思える自分でありたかった。今の会社、高卒の子は常識身についてるし素直で優しいみんなに好かれてる仕事も一生懸命で、付き合いやすい子が多くて、ああ、これでも私だいぶマシになった方なんよ、自分大学入ってサークル入って仲間作りやったの正解だったよ、と言いたい。

就活の時、私は公務員試験に挑戦することにした。受験勉強は大丈夫だと思った。役所なら、何かしらやりがい持った仕事ができるかな、異動もあるから人間関係もダメだったら異動を待てばいいしなんとかなるかな。そして給料いいもんな、という発想である。ただ、あんまり勉強に身が入っていたわけではなく、朝遅れて出発した自分を責めていたしでも、一緒に勉強してた子(ガチ勢・みんな受かった)が話し相手になっててくれてたから、よかったのかも??でも、図書館で勉強してる時、なんか過去の辛い経験思い返してなんだか泣けちゃったりして。できるだけ新卒から勤めた会社で勤め上げた方がいいなんて言われて来たから、すごい焦って。結局試験には受かったが面接全落ちなんて残念な結果に終わった。大学三年生の春休み、たっぷり時間あったのにー四年もだがーなんてお金もあって休日を楽しめる範囲で楽しんでる自分は思っちゃう。でも余裕なんてなかったよね当時の自分。友達に教えてもらった役所の非常勤の職についた。ここでも向いてないとわかっていながら公務員の勉強をした。仕事のできない自分でもクビにはならない。給料はいい。そして受けてみた国家総合の試験で、違うこれじゃないと途中退席。泣いちゃってた。今思うと、それ以外にやることなかったのかな。役所では自分も怒られてばっかりだったし、自分よりできる正規職員がボロクソに陰口言われてる。これ、役所あるあるだ。公務員を解雇することはよっぽどのことがない限りできないが、少ない人数で、多岐にわたる仕事を回していかないといけない。できる人に負担がいき、ストレスがたまり、怒鳴ったり悪口言ったり。大変である。被災地の現場の職員がろくに睡眠を取れず、なんでそんなこともできないのーって感情的になっちゃうのを見て、同情してしまう。手伝いたいのに怒られちゃう人。余裕がなくて怒っちゃう、両方に。将来あなたは陰口を言われ続けて云々。うん、一生懸命怒ってくれてありがとうでも死ねなんて言われて悲しかった。でもちゃんと当時の上司のよくしてくれたことも覚えてるんだよなあ〜。その上司、恐ろしかったが決して無闇に人を傷つけたい人ではない。もっと、怒らなくていい環境で働けていることを願ってしまう。公務員になろうとしていた自分が今となっては怖い。以上、向いてないのに他に正解が見つからずに迷走した記憶。

前置きが、長〜い。まず経緯を説明しないとって思っちゃうんだよな。これが原因で思考が整理されるのすごく時間かかっちゃう。ここまで書いて、タイトルに辿り着いてないの、やば笑。そういうとこだぞ〜なんて。自分と仲良くなるのはともかくブログを始めたのはマジで正解だわ笑。これから生きやすくなる予感がすごくする。だってよ、前回書いた記事、試合に出られなかった悔しさを綴ったら7000字以上いった。私の卒論は2万字。なんだこれ、誰も読まんわ笑。読んでくれてしかもすきしてくれた人がいたの感謝すぎる。それでも、効果あった。あの試合は私の中で完全に過去のものとなっており、今ではしっかり気持ちが前を向いてる。すっげえw。

前置きは続く。契約期間満了により辞職。ちょうどコロナが始まる時期。忙しい職員さんに寄り添って仕事ができなかったこともあり、早く正確にが求められる事務職は向いてないなあ〜と思った。こんなだから、最悪人間関係で辞めざるを得ない事態に追い込まれるかもしれない。でも肉体労働は途中で続かなくなるかも、高齢無資格で社会に放り出されるリスクについて考えると、有資格者になりたいかも!と考え、土地家屋調査士の資格をとって現場に赴いて仕事をすることを志した。当時運転すらペーペー、いまだに方向音痴、そのスペックの私を技術職で採用してくれた今の会社には感謝である。しかしながら、仕事内容は少し特殊だった。

そして、入社してもうすぐ五年、土地家屋調査士受験は三年目に突入する。受験が終わってからの私は、一人暮らしを始めたり、バスケットボールについやす時間を増やしたり、それなりに忙しい日々を送っていた。そろそろ勉強しないとと思いつつな日々。バスケの審判E級が気がついたら手元にある。午前中、だいぶ行動に移すのが遅いがここで、自分を責めてウジウジしてしまうのが私の悪い癖。よし今日から勉強頑張るぞい。土地家屋調査士を今年も頑張る理由についてはまた書こうかなと思う。


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