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あの日、前世エゾリスは石北峠あたりでした。

 10月26日のルヴァン決勝でのことを書き残したいと思いつつ、
なかなかまとまった文章にできない。

 思うがまま、ツイートを繰り返すばかり。

 それなら、
自分で自分のツイートを残しておけばいいのでは??
と思い付き、リーグ戦VS名古屋が迫る中
大慌てで自らのツイートとともにルヴァン決勝振り返り。

 26日は家族の予定もあり、
「たとえ決勝に残ってもわたしが埼玉へ行くことはできない」と、
最初から諦めていた。だから、試合チケットも準備していなかった。
 でも、いざ決勝が決まるとどうにもならない衝動が・・・
その時点では札幌のゴール裏はもちろん、
一般的に購入できる価格の席種のチケットは完売。
SNSにはチケットを求める札幌サポたちがあふれてた。

「もしも、チケットが手に入ったら、その時は、なんとしても行こう」

 そう決めたときに
チケットの譲り先を探しているサポ仲間がいる、との情報が。
そこからはあっという間に話が進み、家族の了承も得て
わたしのルヴァン決勝参戦が決まった。
 数日後にはチケットは「完売」から「余裕あり」に変わった。
決勝カードが確定したことで、おさえていたチケットを決済せず手放した人たちの分が再販されたためだった。
 でも、あの時、あのタイミングで「チケットあるよ!」と知らせてくれ、
繋いでくれたサポ仲間たちがいたからこそ、
わたしは決勝の場に向かうことができた。
 そのチケットはどうしても仕事で行くことができなかった仲間の分。
 譲ってもらうために連絡をとりつつ、思い出した。
彼女との出会いもチケットを譲ってもらったことがきっかけだった。
 1999年10月17日、シドニー五輪アジア最終予選、VSタイ、国立競技場のチケット。
 ネット掲示板で「欲しい人いますか?」と投稿があり、飛びついたのがわたしだった。
 彼女のおかげで、同日の昼に行われる、FC東京VSコンサドーレ札幌と
夜の国立、代表戦という梯子遠征が叶った。
 当時、札幌には・・・
はっ、待って!!
この時のことを書いちゃうと長くなりすぎる。
 とにかく、
「吉原宏太選手をきっかけにコンサドーレと出会った1999年」にも
思いを馳せつつ、わたしはルヴァン決勝を楽しみにすることになった。

 もうね、逸る気持ちをどこに向けていいかわからなかった。
試合メンバーや戦術を考えたり、選手のコンディションを整えたり・・・
なんてことはわたしの範疇にはなく、ただただあふれてくるいろんな気持ちを
紙テープに込めてグリグリと巻いて過ごした数日。
 そして、前夜

 試合当日の寝不足確定。
自分のコンディションを整えることに気を配るべきだった・・・。
 25日の関東の悪天候は北海道から決勝に向かう仲間たちの移動を混乱させていた。SNS上ではたくさんの札幌サポが互いに励まし、情報交換し合い、無事に辿り着くことを祈り合った。

 わたしは26日、始発の新幹線で岡山駅から。

 え??

 コールリーダーが呼びかけていた旗の持参。
多くの人が旗を持参している姿を見て、応援する気持ちは一つなのだと思った。
 そんなわたしは、
旗は持ってきたものの、見事にタオマフを忘れていた・・・

タオマフを忘れる運命でよかった!笑
「宮島、楽しかったですかー?」と竜二さん。
わたしが「CRCと行く宮島ツアー」に参加したことを覚えていてくれた!!
ええ、ええ、楽しかったです!楽しかったですとも!!
あの日は・・・
はっ、待って!!
この時のことを書いちゃうと長くなりすぎる。(2回目)

 10月に入って関東も少しは涼しくなってきていた・・・
はずなのに、暑かった!なんじゃいこりゃ。 

 ゲーフラや持参の旗を掲げて直射日光を避けつつ待っていると、
選手がアップのためにピッチにでてきた。
声を出して応援しているとだんだん日射しも気にならなくなったし、
実際、太陽には雲が薄くかかり、ちょうどいい「晴れ」になった。

 選手が入場するタイミングで各席に用意されたカラーシートを
掲げることになっていた。
 絶対にコレオを成功させたい!、と思っていると周囲がざわつき始める。
え?星??
 巨大な金色の星が前方の通路を横移動していた。
どんなコレオをするのかと札幌ゴール裏を見ていた人たちは
「え?あれは何?」と思ったらしいけど、
 ゴール裏にいたわたしたちも同じことを思っていた。

 そして、いよいよその時は来た。
わたしや周りの人たちは白いシートだった。
 歌を歌い、腕を伸ばして掲げた。
 今、わたしたちが作り上げている「何か」が
これから戦う選手たちの力になると信じて。
 
 キックオフ少し前の小休止で、ネットにアップされたコレオの画像を見た。

 金色の星は札幌に輝いていた。

    ちなみに、わたしは石北峠あたり。

 さて、試合。
・・・は、基本的に見えてなかった。
でも、たくさんの後頭部やひらめく旗たちの隙間から見えるピッチで
札幌の選手たちが必死にプレーしていたことは伝わってきたし、
わたしの声も大きくなった。勝ちたかった。

 菅ちゃんゴールはとにかく嬉しかった!ハイタッチしまくった!
 深井さんゴールはゴォーというなんか渦の中で涙がドォーってなった。
 ぷくちゃんゴールは信じてた。喜びをかみしめた。

 PK戦は、つらかった。
 誰かが重荷を背負うことでこの試合が決するのだと思うと、
つらかった。
 その誰かが札幌の選手でなければいい、と祈った。

 誰のせいでもないとは言うけれど、
敗戦を告げられるあの場面に立つ進藤選手の姿はその後の報道でも
繰り返し目に触れることになった。
 進藤選手のことを思うと心配だったけど、
試合翌日、試合後のコメントを読んで
気持ちが少し変わった。

#進藤派  は、進藤選手の応援をこれからも楽しむよ。

 ミシャ式はわたしにも浸透していた。

 次男には埼スタに行くことは告げずに行っていた。
26日は次男の起床より早く家を出て、就寝よりあとに帰宅した。
翌27日・・・

まぁ、そうだよね。

 試合後、ツイッターのTLは賑やかだった。
いろんな言葉に深く頷いたり、笑ったり、泣いたりして過ごした。
そして、わたしもツイートを連投した。

ポエムがはかどる。

 そして、自分が感じたことは言葉にしておこうと思った。

 それと、↓これは仲間の「いいね」の反応が早くて笑った。

 時間の経過と共に、TLにはみんなの身の上話が並び始めて
それはそれでいいけど、
そこから、応援はどうあるべきか、サポとはどうあるべきか、自分はどうあるべきか・・・となり、
そこで提唱されるものと違う現実があると「○○ではだめなんですか?」「○○だけど、いいですか?」と、なんだか悲痛なものも出てきた。
 なんだか盛り上がっている・・・、
そういうお年頃なのか?流行っているのか??
 わたしも、わたしの身の上話を言っておこう!

はー、すっきり。

 決勝での光景の一つとして、
カラーシートを掲げる札幌ゴール裏を
やや後方の角度から撮った写真が
ツイッターのTLに流れてきた。
 あの美しかったコレオは裏から見るとバラバラだった。
背の高い人、低い人、黒髪、茶髪、金髪、
服装も赤黒ユニ、GKの黄色ユニ、黒Tシャツ…
シートを掲げる角度も微妙に違う

 当たり前だよね。

 札幌を応援することになるまでのあれこれも、
応援してからのあれこれも、関わり方も、好みも、みんな違う。
だけど、うちのチームを勝たせたい、
選手たちを後押ししたいという「思い」で「一つ」になれることに
わたしの心は惹きつけられる。

たくさんの仲間とともに
ピッチに立つ選手を後押しできる大きな「何か」でありたい。

わたしにとって応援の象徴となったあの日のコレオ。
忘れられない景色がまた一つ増えた。

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