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香港から八ヶ岳山麓へ        ー季節の移ろいを求めてー

香港に住んで三年と少し。ほとんどが夏と言ってもいい気候の中に身をおいていると、一年という周期がのっぺりとしてくる。二十代の大半を過ごした信州では四季の移ろいを五感全体で感じられて、カレンダーを見ずとも一年が立体的に過ぎていた。最近ふとした瞬間に信州の様々な表情が浮かんでは、季節の変わり目に吹く風の匂いを無性に嗅ぎたくなって九月のはじめ、少し遅めの夏休みで八ヶ岳山麓の森に向かった。

朝は森の散歩。

天窓から射し込む光と足元にほのかに感じる冷気で目が覚める。前日に直売所で買ってきたサニーレタスとトマトをオリーブオイルと食卓塩だけのドレッシングであえただけのサラダとベーコンエッグにパンをお皿に盛り付け、自家焙煎コーヒー店で丁寧に焼かれたコーヒーをハンドドリップして、ゆっくりと朝食をとる。
家を一歩出るとそこは森で、朝の光を受けた木々の色を見上げながら散歩に出る。爽やかな風が朝の新鮮な匂いを運んできて、風に揺られた木々がさやさやと鳴っている。それぞれの木々の持つ葉と光の陰影の掛け合わせでできる無限の緑のパレットがその森には存在している。

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昼、天空の湿原を歩く。

八ヶ岳の麓から車を走らせ、天空を駆け抜けるようなビーナスラインを走った先にひっそりと八島湿原がある。秋の少し寂しい時期に来ることが多かったその湿原は、まだ夏の生き生きとした色をしている。空も雲もすぐそこで、水面に映った空と湿原の草木を見ているとなんだかあの世にきてしまったかのよう。湿原を一周した頃には、つい数日前まで過ごしていた高層ビルと人とお金が密集した香港との落差に何がリアルなのかが曖昧になって、自分の立っている地面がグラングランした。

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夕暮は稲穂が輝く。

夕暮れ時。部屋の中に挿し込む光の色が変わり始めたのを見て、外に出た。刻一刻と赤みを帯びる夕日と、その色を受けとめる雲を交互に目で追いながら気づけば森から田んぼに抜けていた。まだ収穫には少し早そうな稲穂が黄金色に輝いている。八ヶ岳を背にしたその田んぼの前で、気がつけば夜が始まるまで目眩く色の変わりように見とれていたけど、結局誰にも遭わなかった。

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夜は闇と共に。

七時をすぎると森の中は早くも夜の闇に包まれる。虫の音が心地よく響き、少しだけ開けた窓から入り込む森の匂いのする冷気に秋の始まりが潜んでいる。妙に頭がさえてきて読書を誘う。休暇用に買った村上春樹の新作小説の奇妙な世界に足を踏み入れつつも、時折隣の家から聞こえるオカリナの澄んだ柔らかな音が夜を健全なものに保ってくれている。

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窓を閉め、全ての灯りを消して布団にもぐればそこは漆黒の闇。目を閉じて今日見た一日の色と光に思いを巡らせつつ眠りにつく。数日後には香港の蒸し暑い空港に降り立つことが頭をよぎる。この森では今日の延長線上に秋の色や深い雪に覆われた完全な静けさがあるのに自分がそのサイクルから外れてしまっていることが少し寂しい。

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