13年が経って思うこと

東日本大震災が起きてから13年が経つ。
3月11日にどう過ごそうか。とか、何を考えるのか。とか、
そんなことを考えてはいたけれど、当日に文章にする余裕はなく
1日経ってから書き出してみることにする。

今年はいつも通りに過ごそうと思っていたら、
14時半頃に急なお客様が事務所に3名いらっしゃることになり、
おしゃべりをしながら過ごすことになった。

気がつけば15時過ぎ。
私たちは自然と13年前のことを話していた。

それぞれの13年前の経験と、今。

私は最近、「引退」についてよく考えるようになったのだが、
この「引退」は、仕事をしなくなる、ということではなく
旗振りをすることだったり、ガツガツ前進することからの引退
というイメージだ。

2011年3月11日から、私の人生は急激に変化したし、
そこからの数年間での経験が、今の私をつくっていることも実感する。

これは言葉にするのはなかなか難しいし、伝わるとも思っていないが、
「やろうと思ったらできないことは何もないんだ」
という感覚を得てしまったことが、私の人生を大きく変化させた。

そして13年経った今、どう思っているかというと、
震災をきっかけに出会えた人たちのおかげで今があるし、
あの頃を共に駆け抜けた人たちはどんなことがあろうと同志だし、
これからも繋がっていきたいと思っているし、
恩返しもしていきたいと思っている。

でも、そういう経験から得た私の知識や考えなどは、
もはや手にしている若者がたくさんいて、
その人たちが前に出てぐんぐんと活躍していく時が既に来ている、
と何度も思うような出来事が起きている。
だから、「引退」を感じるのだ。

と同時に、今年の元旦に起きた能登半島地震について
やはり自分にできることは何か?をずっと考えており、
まだ具体的に動けていない自分のことを責めすぎないように、
落ち着いて考える時間を大事にしてみると、
これまでの「経験」を活かすことや、
これからの日本に本当に必要なことは何か、削ぎ落として考えていくことが
46歳になっている私にできることなのかもしれないな、
とも思うのだ。

40代は正直苦しい。
30代の時よりも無邪気に突っ走ることができていない。
でも、自分を卑下することなく、
これまで着実に痛みも伴いながらやってきたことを、
きちんと頭と心を使って、「これから」に貢献していきたい。

私は13年前も今年も、友人や知人を震災で亡くした経験はしていない。
だけど、それでも、大切な人を亡くした経験はしているし、
大切な人を亡くした人と共に未来を見て歩く経験もしている。

これまでみたいに、景色を見る余裕がないほどに走ることはできないけれど
これからは、未来を歩む希望のある人たちと共にじっくり歩みたい。

復興支援に奔走していたあの日々を、思い出すことがあまりできない。
むしろ、あの頃の私を知っている人に「あんなことあったよね」と教えてもらうことの方が多い。
そういう具体を思い出せないほどに熱をおびた日々も愛おしいけれど、
13年経って思うことは、
できることを、できる人が、できるかぎり、じっくりと。
なんだな。

あとは若い人に任せて。
なんてダサいことは言いたくない。

でも、「これからのひとたちの未来のために」が
嘘や、押し付けや、独りよがりにならないように
そっと大人しく、やれることをやっていきたい。と思うんだよ。

どうぞ、これからも、共に。
よろしくお願いいたします。


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