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岡崎乾二郎 「視覚のカイソウ」展@豊田市美術館

https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/okazaki/

アクリル、グラフィック、オブジェ、セラミック、テキスタイルとメディウムを様々に替えながら造形の根源を問い続けてきた作家の、これまでの制作を一望できる貴重で刺激的な展覧会。展示会場に佇んでいると、作品を見る喜びと緊張感を強烈に感じる。

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アクリルによる絵画では、絵の具が色彩の塊をなして、画面から垂れ落ち、表面から飛び出さんばかりなのに、しっかりとキャンバスへとつなぎ留められている。逆に大きなサイズの絵画では、キャンバスの表面が磁場のように絵の具を惹きつける。
おそらく、それぞれの作品が、奔放な諸要素を取りまとめる強力なキャンバスの力を見る者に感じさせるのは、作家が作品の自立の力を信じ、それを追い求めてきたからであろう。

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展示室では、人間の全身サイズとほぼ同じサイズのキャンバスと、人間の顔と同じくらいの大きさのキャンバスが展示されており、鑑賞者は作品に近づいたり離れたり、その都度適切な距離を測りながら鑑賞することを要求される。

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さらに鑑賞者にとって作品との距離を取るのが極めて困難なのがレリーフ「あかさかみつけ」である。ここでは作品を構成する板によって、内部と外部の空間が見る角度ごとに入れ替わる。実際、この作品は「レリーフ=浅浮彫り」と命名されるには立体的過ぎる。むしろ壁に取り付けられた、厚みを持ったオブジェである。そのため鑑賞者が作品によって生み出される空間の変化をインタラクティヴに享受するには、壁から飛び出した作品に触れないよう細心の注意をはらわなければならない。

また「ポンチ絵」では、レイヤー状の紙がときに絵を際立たせ、ときに絵を邪魔し、図と地のただならぬ関係を作り出している。
いずれも力強く自立した作品は、見る者に対して相応の緊張感を要求するのだ。

これらの作品は、何らかの歴史的な作品を想起させる。レリーフはタトリンやナウム・ガボの作品を思い出させ、彫刻はアンソニー・カロやドナルド・ジャッドを彷彿とさせる。アクリル画は一種の抽象表現主義であり、プリントのテキスタイルを張り合わせたコラージュはクルト・シュヴィッタースを思わせ、セラミックの彫刻は人体が絡み合うロダンの彫刻に似ているかもしれない。

このような類似は、単に作家が歴史上の作品に造詣が深く、影響を受けているからではない。作家もこれら歴史上の芸術家たちも、造形の持つ普遍的な力について思考し実践したため、結果として形態が類似したのであろう。普遍的な造形の探求は、歴史に強く規定されながらも、時間とコンテクストを超越する。

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