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Congratulations on your 1st DOME TOUR

イリチルの日本ドームツアーが終わった。約1か月かけ5公演を終え、メンバーのみんなが今日、健康で怪我もなく無事に帰国してくれたことが本当に嬉しい。少しでも休む時間はあるのだろうか。疲れを引きずるまま仕事をすることはとても辛いだろうから帰宅したら本当にゆっくり休んでほしいし、またはじまる日々の中で、私たちがそうであるように、彼らもまた公演の思い出を糧に過ごしてくれたらいいなと思っている。

ありがたいことに5公演中4公演もチケットに恵まれ、悠太くんにとっての凱旋公演ともいえる大阪公演は2日目、千秋楽に行くことができた。
公演の流れに身を任せて没入できた3ステ目である東京2日目から約1か月後の昨日、座席は今までの中で一番近い3塁側アリーナ席だった。双眼鏡はほとんど必要なかった、だからとにかく肉眼で確かめたいことを目に焼き付けようと必死だったように思う。
チケットの申し込みが始まってからずっと心に決めていたことがあった。
『どうやって歌っているのかこの目で確かめたい』
『生の声を聴きたい』
『肉眼で踊る姿が見たい』
とにかく自分の目で見て、耳で聴いて、肌で感じて確かめたかった。
『大好き』をもっと立体的に、身近に感じられるようになりたかった。
だから、最後の最後にほとんど肉眼で追えたことは本当にラッキーだった。
(ただ『Love Sign』と『TOUCH』は正面から観てみたかった、これはもう円盤に期待したいと思う)(異常なまでに『TOUCH』に執着するわたし)

肉眼でムンテイルさんを見た時、ただ立っているだけなのに身震いがした。重心がブレない、真っ直ぐな立ち姿だった。
映像で見る時と同じように、なんのつかえもなく、真っ直ぐに息を吸い、真っ直ぐに歌っていた。加えて肉眼で見ることで、首のあたりの筋肉の動き、音の高低によって変わる声の響きの重心を見たり感じることができたように思う。無駄がなかった。彼は終始、歌を奏でていた。彼の歌声はすべて歌のためにあった。どんなに激しいダンスの直後でも歌うための体の準備はぬかりなかったように見えた。常に冷静に自分のパートに備えているように見える姿は凛々しく、私の好きなテイルさんの姿だ。だからこそわずかに顔を顰めるように歌う姿が感情のゆらぎにも見えて胸にグッときた。
だからこそ、最後のメントで饒舌に語る姿に涙が止まらなかった。
どれだけ胸に秘めてきたことがあるのだろうか、それをどれだけ歌声に込めてきたのだろう、込められるようにどれだけの準備を、探究をしてきたのだろう。それらが歌に、パフォーマンスに閉じ込められて、残って本当によかった。歌を聴くたびに私はテイルさんの歌う姿を思い出すし、それが彼の歌をより立体的に、温度を持ったものにしてくれると思う。またすぐにその姿に出会えることを信じているし、それまでの間に楽しむコンテンツも、もっと愛着を持って観られるような気がしている。
(確か最後の曲の時、イヤモニを外していて、あまり見たこと(タイミング的にも)なかったから意外だった。でも自分のパートではしっかり付けていて、それだけのことなんですけど、『ああ、すきだなぁ』と思って見ていた。文字にしたら結構重たいな、まあいいか)

ヘチャンさんは私の中でもとびきり大切で特別な推しで、私の中で「プロ」である人のひとりだ。公演のたびに彼の姿に圧倒されたし、そこからますます夢中になった。彼の望むように、私は彼を応援している間はとびきり幸せだし、そういう意味で私は彼が魅せたいものを見て感じていると思っている。
(いつも心で「ヘチ」と呼ぶので以下「ヘチ」と書くことを許されたい)
だからこそ私は、オタクのエゴだと分かっていても、へチに公演の間、ずっと幸せでいてほしかった。昨日肉眼でヘチを見た途端、特にその思いが大変に増幅してしまって、途中から(つらくないかな、たのしいかな、しあわせかな)と思って見ている自分に気付いた。まぁ当たり前ながら大きなお世話である。
でもそう思うことで私の中で昨日の公演はまた特別な意味を持つものになったし、私は彼の幸せを必死に願って、彼はきっと私たちの幸せのためにすべてを尽くしただろう。私にとって、それが必要でまた幸せな時間だったように思う。
どんなプロも当たり前にそうだと思うが、ヘチは力は抜いても手は抜かないように感じられる。いつもその時の最善が尽くせるように瞬時にあらゆることを判断しているように見える姿には毎回感動を覚える。自分がプロであることをあらわそうとする姿は素晴らしく、なぜか私は「誇らしい」という言葉を思い浮かべていた。なんだかめんどくさいオタクだ。困っちゃった。
彼が魅せたい姿に夢中になりながらも、ところどころ「へチャン」から透けて見える「ドンヒョク」を感じさせる姿にくらりとする。膝の力が抜けるような、心を丸ごと持っていかれるような、うまく言えないけどそんな感じ。

『Love Sign』の最後、テイルさんと向かい合って終わるのだけど、そこで私が見ている画面ではヘチの表情が抜かれていて、じっとテイルさんを見つめて僅かに頷いた瞬間があった。私の心にあるこの曲に関するあらゆる感情が一気に湧き出てきて、膝から崩れ落ちそうになった。間奏のダンス、とびきりに素敵だった。素敵な模様の京セラドームの天井にキラキラと煌めくライトの演出、ちゃんと見ていたよ。柔らかさよりは要のところで一瞬時を止めるような凛々しさが際立っていた。いつも少しずつ違う表現に勝手に意味を見出そうとしてごめんね。

メンバーのメントを台本を頭の中でなぞるように聞いてるんじゃないのかなと思う姿にいつも感心していた。だから、ビハインドで見るようなドライな笑い方に勝手に素の「ドンヒョク」を見ているような気持ちになっていた。感情がストレートに出ているようなあの笑い方が大好きだ。同じようになんでもないときに歌う歌がまた特別にだいすき。とっておきだから、心の宝箱に大切にしまってある。
サプライズで泣き崩れる姿を見せ(てくれ)ながらも、夜更けにインラで思いの丈を話してくれるところはさすが「へチャン」だなと思った。そこに意味があってもなくても、私はただただ立派だなぁと思ったよ。

ヘチのダンスはどうしてあんなに美しいのだろうと、少しでもその内訳を探りたいと常々思っているのだけど、肉眼で彼のダンスを見てはっと気づいたことがある。素人で全くの私見です。
一つは肩(肩甲骨)の動き。ヘチの四肢は実際すらっとして長いのだろうけれど、バレエでもよく言われる「腕は肩甲骨から」というのが染み込んでいるのかなと思った。上半身の動きが表情豊かなのは首やお顔の付け方だけでなく、肩の可動域の自由度の高さもあるのかなと思った。
もう一つ、ヘチのダンスからは「ストーリー」を感じる。もしかして覚える時に起承転結というか、動きの連続というよりは、物語(例えば一連の流れに対する盛り上がりやおさまり、抑揚など)を感じているんじゃないのかな、と思ったのだ。そう思って見たら余計に美しく感じられて、うっとりしてしまった。私のおめでたい頭が感じさせる幻想だったとしても、今のところはそれでもいいかな、なんて思っている。

帰りの新幹線でセットリストをなぞりながら、一曲一曲のそれぞれに素敵だったところが思い出されて、全部文章にするのは大変だな、なんて思っていたら案の定このありさまである。3000文字超えてて引きました。

2人に限らず、みんなみんなとても素晴らしかった。文字より、自分もお話してみたいし、直接会ってお話伺いたいし、きっとそのようなチャンスがあったらいいなと思います。

思い返せば幕開けを飾る「Kick it」は、もちろんファンの前で披露するには特別な意味のある曲であっても、それぞれの個性を魅せるにはご挨拶代わりにぴったりで、締めくくりの「Cherry Bomb」「Sticker」は個人的にはイリチルらしいな、と思わせてくれる曲とパフォーマンスで、『全人類刮目せよ』という言葉がぴったりだなぁと思って聴いていた。
他のメンバーも言っていたかもしれないけれど、ジャニさんがメントでこのツアーのことを「はじまり」と言ってくれたことが特に心に残っていて、観客の数だけ思いがあるのは当然だけど、新米シズニの私には励ましであり温かく手を差し伸べてくれるような言葉だったなと思う。

夢中で過ごした1か月がとても楽しかったし、お会いしてくださった方、本当にありがとうございました。そして私をシズニにしてくれた私の大好きなひと、ほんとうにありがとう。

いつまでも音楽を愛する心の中に彼らがいてくれたらいいな。彼らに愛を注ぐことのできる、音楽を愛する、彼らを愛する、そういう自分なりに素敵な人でありたいなと思います。


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