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Where you dream,there I’ll be(NCT/TAEIL)
「愛は行いだ」とよく言うけれど、言葉を紡ぐ事だって行動の一つだし、言葉が音楽に乗れば音楽は言葉以上に雄弁に語る。
「夢見るどこにだって一緒について行くよ」
上の言葉はテイルさんが歌う歌詞に対して公式によってつけられた意訳であるが、探し出せない事が悔やまれるのだが、
「この歌詞こそテイルさんの愛の形だ」と語る海外ファンのポストを見かけて、ああ、そうかもしれないと胸が熱くなったことを思い出す。
この曲の歌詞はNCTの太陽と月であるヘチャンとテイルさんが綴ったそうなのだが、何度か「星」という言葉が出てくる。
またここでも海外ファンの言葉で
「ファンは星に擬えられているのではないか」というポストも拝見した。
“거리를 채운 Stars like you”
いち早くそれを感じたファンも、もし意図して書いたなら私たちの愛しいふたりも、なかなかのロマンチストだなと思って心が甘く溶かされたような気持ちになった。
韓国語話者でない私はこの歌詞を母語のように味わう事ができないもどかしさを味わっているわけだが、それでなくとも、言葉が分からなくとも耳に響く心地よい声というのは柔らかく、味があるなら確実に甘い。この甘さは脳にまで直接届く。
そしてきっと音楽に乗せたからこそ、言葉なんて、言語なんて通り越して彼らの愛情というのがダイレクトに伝わってくるんだろうな、と尚のこと愛おしく感じられる。ああ、大好きで堪らなくて、困ってしまう。
レコーディングビハインドが出ると信じているが、またいつもと違うことやプラスワンを試しながら歌声を生み出す姿が見られたらいいな。
教育を受けた多くの人がどこかしらで程度に差はあれど歌う機会というのを得ているとは思うし私も漏れなくそうではある。
人によって感じ方にこれまた差があるだろうが、私はテイルさんの歌声を聞くと「きっとこんなことを気にしたのかな」だとか「体のこの辺りに響くように歌ったのかな」だとかいうことを感じてしまう。想像だけでなく自分の身体の中も同じように響くし、もっと言うとテイルさんの歌声というのは私の柔らかいところを響かせるような感覚がある。
スキル的にも「こうだろうな」「こうだろうか」などと思う事があるが、当たり前にテイルさんと私の歌声はおおよそかけ離れている。同じ人間とは信じがたいほどに。
タイムリーではあるし記載していい内容か分からないが、先日ファンクラブのプラットフォームがWeverseに変わり、アーティスト個人の紹介文が掲載された。英語のテイルさんの紹介文には
「Gifted bro.」(日本語では「歌名人お兄さん」だったと思うが)とあり、心の底からこの単語に同意せざるを得なかった。どう考えてもこの歌声は「賜物」である。
ディズニープラスで配信されているドキュメンタリーで歌手への道を歩き始める端緒というのが語られていたが、あの歌声がこの世に発露しなければ彼が歌手を選ばなかったかもしれないと思うと、きっと見えざる人知を超えたものというのはあるんだろうと思わずにはいられない。
わたしのおつきさま、今頃どうしてるかな。
これまでも暫く姿が見えなくなっては唱える独り言ではあったが、こんなにも切実に思う日々がこんな形で来るとは思わなかった。
飽く事なく言い続けるのだが、私はテイルさんが歌う限りは彼の歌を聴き続ける人生を送りたいし、ムンテイルさんを敬愛する一人の人間で、勝手に仲間意識を持つ音楽愛好家でもあるから、テイルさんが表舞台にいる限りはテイルさんがいるところの近くにいられたらいいなとそう思っている。
私だって、きみが夢見るところにいたいよ。
Where you dream, there I’ll be
冒頭の日本語訳の「ついて行く」って、テイルさんの愛の形をあらわしてるんだとしたら甘くてくすぐったくてテイルさんっぽいなと思うのだが、英語だと上のように訳されていて、これも何だか感覚的にテイルさんっぽいなと思った。重ね重ね、こんな事こんな甘い声で歌われちゃってほんとに困る。勝手にずっと困ってます。
私もテイルさんについて行きたいな。お互いに歩調を確かめ合いながら歩いていけるんだったら、ファンとアーティストという距離感でも、きっとそれって理想的なんだろう。
ソウルコンで披露されたこの曲が形を変えてLABで発表された時、そのテイストの違いに少し驚いたし初披露があまりにドラマチックだったのであのアレンジが惜しくも感じられたし、何より好きが相まって、形になってこの世に発表された事への惜しさまでも感じずにはいられなかったが、聴くにつれ、歌詞を知るにつれ、味わうにつれやっぱりこの曲がこうやってしっかり残る形になって嬉しいなと思う。
私には「ここはテイルさんが書いたのかな」と予想する言葉がいくつかあるのだけど、いつか答え合わせしてみたいし、いや、しなくても平気なようなそんな気持ちでいる。音楽なんてきっとそんなものでしょう。受け手が自由に愛することをきっと作り手も幸せに思うだろうから。
一緒に夢を見て、一緒に歩こうよね。一緒に歌って、音楽のうちに幸せに生きよう。
今年の渾身のラブレターを添えて。これからもよろしくね。
追記
ところでどうしてここのこと誰も言ってないの
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