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omoide ①

小田急に乗って

そういえば復帰したタイミングで記しておこうと思っていたが色々あって今に至る。

俺の事を誰だか知ってる人も、知らない人でも構わない。残す為に書いてみる。
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俺はとある草プロレス団体の1プレイヤー。
社会人・アマチュア…つまり休日のお楽しみ。
レスラーでスタッフやって時々やってないこともある。

使命じゃなくて楽しみの為にやっていた。
今は少しだけ違う…気がする。
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高校生で目指した学生プロレスラー。
思い立ったが直ぐ行動、サッカー部もやめた。

(10年間くらい続けたサッカーだが慢性的な負傷癖と、スポーツやってないとカーストに影響するのに嫌気が差したり、両親の期待もあって辞めるに辞められない状況下に苦しんだりしたけど、色んな物くれたのは事実。)

送ったDMに返ってきた『大学入学後、お待ちしてます!』にがっかりしたりした。当たり前がわからない子供だった。

学生プロレスラーっぽいリングネームを探して片っ端からフォローしていた頃、とある団体の活動休止を知る。今思えば出会いはこれ。

そして半年後、練習を再開するというツイートがあった。即DMをした。

そしてこの日、練習を見学した。16歳の頃だった。シングルの練習試合を見させて貰って、レフリー含めて今この団体にいるのはここにいる4人が全員だと言われた。
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自分は特別な状況にいる事がわかった。

周りには素晴らしい先輩らがいて色んな技術、世の渡方を教えてくれた。

飯いっぱい奢って貰ってごっちゃんした!後輩達に返していきます。

YouTubeや観戦記、Twitterで見た世界全てがここにあるなぁと思ってた。

毎回練習の度に出会うスーパースター達にワクワクしてた。ファンだな。

初めて参加した興行も、それに至る練習、そして行き来の電車内で考えたプランは今でも覚えている。

レンタルしたハイエースに乗って小山町から帰る車内をよく覚えてる。

初めてやったミサイルキックで受身をミスってリング外でのたうち回ったのを覚えてる。

受験の為に半年間関わらなかった、つまらない日々を覚えてる。

とにかく刺激的な初体験が多かった。
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暫くすると同世代がわんさか入った。
俺は俺であると強く思いつつも、周りの反応にいちいちくらってたりした。嫉妬心の塊だった。

周りが見えなくなっていた。
一つ強い信念『絶対に負けてはならない』を胸に誓いリングに上がった、正直異常なテンションだった。

多くの過ちを犯し続けた。

遂には自分のダメ人間っぷりも相まって日常生活にも影響が出始めていた。

身を引く決意をしたのは2019年の2月23日、奇しくも自分の誕生日前日のことだった。

ご覧の通り、俺の趣味は俺の首を絞めた。
しかしながら俺は今もここにいる事が出来ている。
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深夜、最寄駅についた俺は帰りの足でそのまま夜間病院に行った。

異常はなかったが、寒さと惨めさと疲れで泣きそうになっていた。辞める決意は出来た。

古い友人を、思い出したりもして教訓を無駄にしてはならないとも。

しかし最後に争うことをした、業界で1番の親友に電話をかけた。時計の針はてっぺんを回っていた。

『どこで何をしてるか、わからない人にならないでね』

続ける、この大切さは俺が今ここにいる事が出来ている状況についての意味を教えてくれる。

俺がこの団体にいるのは、あの時続けるという判断をしても受け入れてくれた人達のおかげ他ならない。

俺が辞めなかったのは、俺より先に辞めた人らが帰って来れる場所を残したいから他ならない。

俺が続けるのは、あの時の俺のような居場所が欲しかった何者でもない奴を何者かにする場所を守る為他ならない。

でも最も大切なのはプロレスを続けることよりも、ここで出会った縁を無下にしてはならない事だった。
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ただ、簡単には戻れない。
みんなには復帰の意思ナシと伝えていた。
これは軽率な『試合しようよ!』が本当にストレスになっていたから、ということもある。

だから欠場理由もあまり深く説明しなかった。

(結果、久々に会う人に『右手がオシャカになって再起不能になったかと…』みたいな事言われて面白くなるなどした。心配してくれてありがとうございます。)

誰もかもが忘れた、又は知らない状態で戻る。
そして自分を誰も知らない場所で復帰する。
万全な状態、納得のいくコンディションで帰る。

これを目標に長い潜伏生活が始まった。

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