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「眼鏡とチーズケーキ」

今日は、眼鏡を壊した。

以前よりも狭い家に引っ越したから、ベッドとデスクと狭い通路しかない。物を置く余裕がない。メガネもその影響を受けてしまった。いや、これに関してはメガネをベッドに投げ込んだ彼奴が悪い。

私はベッドに雑作もなく置いてあるメガネを、ひと思いに。治すまでの間、レンズが外れてしまったメガネはただの面白小道具にしかならない。

夜、今からコンタクトをつけるのも癪だ。裸眼で歩いてみようか。安全を脅かされた人間は、時に博打を打つ。借金がカイジを、死への恐怖がグレイズフィールドの子供達を、壊れた眼鏡は人間を、危うい冒険へ連れ出す。

下がりきった血圧とチラつきボヤつく視界を従わせる。靴を履くと、ほんの少し足が温い。

時々聞こえてくるピアノ、あるいは猫の鳴き声。路肩の一方通行の標識が歩くスピードを乱す。狭い道を探検しては、迷う。今思えばずっとそんな風に歩いてきたように思える。結局自分の方向感覚に見切りを(あるいは地図アプリを)つける。

急な坂道を登っていくと犬を連れたマダムが降りてくる。環状六号の周辺は、確か動物病院も多かったっけ。穏やかな毛並みが揺れる。温厚なレトリーバーは私にひとつも目をくれない。

そういえば、この道を南に進んだ処に住む彼は元気だろうか。不摂生な彼が袋麺を啜る姿を覚えている。できれば、(少しだけ)野菜を齧っていてほしい。それはきゅうりでもすいかでも構わない。

見えない目で眼鏡屋を探すのにも苦労した。6インチの画面に目を凝らしてようやく着いたが、店員の男性はあっという間に外れたレンズをはめ込む。

あんなに入らない、入らないと慌てていたのに。22歳、まだまだ人の助けが必要だった。その帰りは退屈な道だった。ゴミが、側溝にはさがっている。冒険は終わる。安心は味気ない、けれど心地いいのかもしれない。イヤホンを取り出せば、そこはいつもの道だ。

クリームチーズを捏ねる。きび砂糖が徐々に馴染み、形が見えなくなっていく。全卵と薄力粉をそれぞれ加えていく。生地はゆっくりと底に沈んでいく。オーブンに入れた時は、まだ固まるそぶりひとつ見せない。

ゆっくりと焼かれ、生地はやがて、きつね色に。変身願望とか上昇志向とかこいつはかけらも持っていないクセに、立派に化けやがった。私は星野源にも菅田将暉にもデーモン閣下にもなれなかったのに。そんな嫉妬も、生地が少しずつ萎んでいくのを見て消えていった。頭を冷やしてコーヒーを飲む。治りたての眼鏡は白く曇る。

他人の人生の中に混ざり合う自分。安全地帯などどこにもない。ただ、最善策はダマにならぬようにゆっくり溶け込んでいくこと。

なんて、ただのお菓子に意味を込めたり。

素朴な味のチーズケーキは縁起がいい。滑らかな生地が口の中でもちゃ、と潰れていくことで厄払いになる。知らんけど。

裏漉ししたのは正解、少し塩を入れてもよかったかもしれない。私はどうも「飲」と「食」のバランスを取れないようで、先にコーヒーがなくなってしまう。黒い余韻があるうちにと白いケーキを頬張る。洗い物のことはとりあえずあとで考える。今はそれで良い。

よく混ざり合ったチーズケーキ。今度はほろほろな抹茶マーブルのクッキーなんて作ってみるのも良いかもしれない。完璧に混ざり合わずとも綺麗だからね。

これからの発展を祈って、



あ、お久しぶりです

あ、ごめんなさい変なの挟んじゃった



古家悠真(あをともして)

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