あの選択をしたから

貧しいこともなく、お金持ちといったわけでもなく、ごくごく普通の家庭に生まれた。その"普通"がとてつもない努力によって成り立っていたことは後々に気づく話である。

これまで反抗期というものがなかったのではないかと思うぐらい、お家での約束事は守ってきていたし、いわゆる真っ直ぐで真面目な子どもだった。というより、反抗する気持ちが出てこないぐらい、両親共に穏やかな家庭に育ってきた。わたしにとって、尊敬する人たちだ。

大きな失敗もなく、失敗を失敗と思っていない節もあっただろうが、その頃なりに悩みつつも前向きに生きていた。

ここまでの文章を読む限り、真面目な人なのだろうと思う人が大半であろう。真面目というよりも、不真面目を知らずに生きていたという表現の方が近いかもしれない。

それは中学生の頃の話である。"サボる"ということを覚えたわたしは、その言葉通りに部活をサボることが増えた。一人でする度胸を持っているわけではなかったので、友達と一緒にしていた。だからといって、周りに流されてたわけではない、わたしもそうしたいからそうしていた。悪いことをしていることが、その時は楽しかったのだ。中学生らしいなとも思う。それ以上の悪いこともできなかったので、根は真面目なことにもその時に気づく。

そんなわけで、"サボる"ことを取得したわたしは、ほどほどに真面目に生きる術を身につけた。遊びは全力で、バイトはほどほどに。

そんなこんなで、そんなわたしにも小学生の頃からみていた夢があった。それは、保育士になることだ。何かきっかけがあったわけではない。周りが言っていたから、じゃあわたしもに過ぎないし、他にみる夢もなかったからと言い換えてもいいかもしれない。その夢がどうなかったのかは、またどこかでお話ししようと思う。

何事もなく、平凡に毎日を過ごしていたわたしにも、今後の人生を考え、そして、はじめて大きな選択をした時があった。それは高校3年生の夏がはじまろうとしていた時だった。それは、受験だ。

わたしが住んでいたところは、白鷺がいる池や田んぼが広がるような田舎だったが、少し出れば都会となるところだった。大学もたくさんあったし、オープンキャンパスへもたくさん行った。同じ場所へ何度か足を運んだこともあったし、一時期のお部屋はパンフレットの山となっていた。そのぐらいたくさんの大学があったが、正直にピンと来るところはなかった。でも、その中で決めなければならなかったので、だいたいこの辺りをいくのだろうと思うところはいくつかあったし、そこに行くのだろうと思っていた。

行きたい学科の大学の一覧を見て、一つひとつを見てじっくりと考え、たくさん、たくさん悩んだ。学校での進路相談もしていたし、先生の言葉も参考にして探していた。

いくつか候補が定まってきたある日のことだった。その日は指定校推薦へ向けて、大学の名前と何人が推薦を受けられるかの枠が発表される日だった。

真面目ではあったが、成績は低かったわたしには指定校推薦なんて取れるはずがないと思っていた。どうせ、成績のいい人が取ってしまうのだと、そう思うしかなかった。でも、どんな大学の名前があるのかなと、興味はあったので見ることにした。その選択がのちの人生を左右することは、この時はまだ知らない。

行きたい学科を一覧にして、たくさん調べていたので、知らない大学の名前があるはずがないと思っていた。しかし、一つだけ見たことも聞いたこともなかった大学の名前があったのだ。

すぐに調べた。学科を見ると、学びたいところがあるではないか。この大学は知らないぞと思い、すぐさまオープンキャンパスがあるかどうかを調べた。

なぜオープンキャンパスにこだわるかというと、ネットやペーパーだと分かりにくいからだ。学力が低いわたしからすると、文字を連ねられてもよく分からないし、よく分からないところには行きたくなかった。自分の学びたいことはしっかりと学べるのか、そこを重視して見ていた。そういうところは、しっかりとしていて偉かったなと自分で自分を褒め称えたくなる。だから、実際にその場へ行くようにしていた。ほどほどに生きてきたわたしでも、大事な選択となるととても、とても慎重になるようだ。

その頃だとだいたいのオープンキャンパスは終わっていた。しかし、奇跡的に残り数日間開催されていたのだ。よし、いくぞ。すぐに母に相談した。「この大学のオープンキャンパスに行きたい」

これまでほどほどに生きてきていて、自分から何かを選択することが少なかった。母からすると、思ってもみない提案できっと嬉しかったに違いない。母はすぐに「うん、行ってみようか」と返事をしてくれた。その返事がすごく嬉しかったことは、今でもよく覚えている。母のもとに生まれてきてよかったなと思うほどに、嬉しかったのだ。

オープンキャンパス開催と謳っていたものの、今まで行った大学とは違い、キラキラとした雰囲気とは真逆の雰囲気だった。かといって、沈黙とかでもなく、長い歴史を感じ取られるような建物の色からも落ち着いた雰囲気で、一目惚れをした。その時に、ここの指定校推薦を受ける、と決めた。自分の直感を信じれるぐらいには、自分のことを信じていて、この選択をして本当に良かった。そう思えるのも全部が全部両親のおかげだ。

わたしがこんなにも調べて知らなかった大学だったこともあり、ここの指定校推薦を受けるのはわたし一人だけだった。誰もいないという不安は1mmも感じることなく、そんなことよりもどこの大学よりもここに行きたかったわたしには関係のない話だった。ホームページを隅から隅まで読み、オープンキャンパスに行って、ここなら学びたいことが学べる、とそう思ったから不安は一つもなかった。成績は低かったが、指定校推薦をもらえるぐらいの学力であったわたしは、すんなりとその権利を得ることができたのだ。そして、わたしの大学受験は終わった。

この大学に入った選択をして本当によかった。学問の学びだけではなく、それ以上の学びや出会いがあった。それは今でも、これから先の人生の宝物だ。

こう思えるのは、ただその選択をしたからだけじゃない。その選択をした自分を信じて最後まで動くことができたから、今こうしてわたしは夢を叶えて過ごすことができている。"自分を信じる"と、この言葉にすると難しく捉えがちだけれど、直感は嘘をつかない。どうしてもわくわくする方へと動いてしまうのだ。その感覚を感じ取れれば、勝手に体は動くし迷うことはないだろう。

そして、その選択を分かち合い、後押しをしてくれる人がいれば、自分の動く力となる。この経験を通して、そのことを学ぶことができた。何よりも自分への財産だ。

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