#1 オリジナル小説
ヨルガは森に仕えている。
腰まである深緑に透けた髪を揺らし、石造りのちいさな鳥居のようなものの前で毎日三度、祈りを捧げている。
彼女によれば、森は神そのもので、自身はいわゆる神職なのだという。しかしヨルガは人間ではない。異色の髪が風変わりではあるが、どこからどうみても人間の出で立ちだ。身体が半分透けていることを除いては。
それもそのはず、彼女は元は人間だった。ただ、生前の死を迎えてから、輪廻転生できなかったのだという。そういう者はごく僅かだが存在する。来世にあぶれた者たちは森に寄せ集められ、転生するまで一時的に森に仕えるのだ。
そういう者を「樹守者」と呼ぶ。
*
本来なら高校二年になるはずだが、自分は学校に行っていなかった。
きっかけは特にない。壮絶なイジメにあったとか何か特別嫌な思いをしたわけでも、誰にフラれたとかでもなく、去年の秋頃から自然と行かなくなった。迫り来る受験から逃れたいという気持ちは幾許かはあれど、それは誰しも降りかかる問題であって特別拒否したいわけではなかった。ただ、自分はここにいるべきではない存在だろうとうっすら思っただけだ。
思えばいたって普通の学校生活だった。
成績も特別秀でてる教科があるわけではないがかと言って悪くもなく、むしろ平均よりはるかに良い方だったし、友達と呼べるものもそれなりにいて、クラスの最下層とは無縁でいられた。部活には入ってなかったものの運動もそれなりにこなせる。結構恵まれていたんじゃないかとさえ思う。
しかし、それが楽しかったか、幸せかと問われれば疑問だった。
周りとの空気感の違いに気づき始めたのは今から一年ほど前。入学当初から学年が一つ上がり、小学校のままの心象が変わっていくのを嫌でも実感する。
まず、友人との会話を楽しめなくなった。友人は学校での不満をたびたび口にしては口を零す。それを聞くのもなんとなく嫌だったが、何よりいちいち同意を求めてくるのが鬱陶しい。
「一年から受験、受験ってもう耳にタコだわ。あーあ、小学生に戻りてぇ。遊んでるだけでよかったよ」
こんな具合だ。他に楽しげな話題を振っても、そんな事に興味あんの?お前、と一掃された。文句しかないのかよ。せっかく同じ時間を共有してるのに、誰でも同じような返答しそうな愚痴吐いて。
「別に。自分次第だろ」
半ば投げやりに返す。こんな人間とつるんでいる自分が不甲斐ない。
「じゃあ、例えばよかったことって?小学校と比べてさ」
「難しい本が読めるようになったとか?」
「えっ……」
友人が吹き出す。まるで、そんなこと本気で思ってんのと言いたげな顔。
悪いかよ。
そんな具合で、自分は学校に行かなくなった。休んでいる間は、好きな絵をひたすらに描いた。それ以外は特に何もしていない。高校生にもなって、いったい自分は何をしているのだ。甘えてるんだろうな、とゴロリと寝返りを打った。勉強はといえば、幼馴染がたまに家に来てノートを届けてくれるが、そんなことしなくても良いのにと窓の外をみる。嫌味のような綺麗な青空が憎い。
これから自分はどうすれば良いのだろう。何も思いつかないまま日々だけがすぎて行く。それも悪くない、ただ漠然とした不安だけは消えることがない。
「また寝てるの?アイちゃん」
母親の声がして飛び起きる。いつの間にかドアが開いて濃いピンク色の派手なワンピースを着ている。
「いつまでも寝てちゃダメよ。朝起きれなくなるでしょう、この間だってお昼にやっと起きて」
「別に良いでしょ。母さんが困るわけじゃないし」
「困らないけど、困るのよ。とにかくちゃんとした生活をしてね。アイちゃんはまだ中学生なんだから」
学校に行ってないのに、果たして”中学生”なんだろうか。
母親は、過干渉ぎみだ。対して父親は無関心。そもそも仕事でほぼ家を開ける上、小さな頃から話した覚えがさほどない。年が離れた兄貴はとうに自立して家を出て行った。
この家族の共通点として、まともに取り合ってくれたことがないということだ。
「もう良いから出てってよ」
「母親に向かってそんな言い方はないでしょ?アイちゃん」
ちゃんづけはやめてくれ、と何回も言ったが、この人の耳には届いてないらしい。
思えば小さな違和感はそこらに転がっていたように思う。カラカラと音を立て、落下していく。それは次第に量が増え、色が消え、最初は取るに足らない大きさだったものが気がつけば巨大な壁となって自分を塞いでいた。
自分は気づいてしまい、周りは疑問を抱く様子もない。ただ普通に日々を送っているのを眺めていると、それがどうしようもなく大きな隔たりに思えて仕方がなかった。惨めとさえ思った。
学校に行かない、という選択肢は結構強烈なのかも知れないと思っていたが、学年全体で考えれば実際来てないヤツは結構いたし、最初こそ親共々心配されたものの時間さえ立てばみんな元どおりに自分の生活に戻って行く。
そんなもんだった。
死んでしまおうか、と思った。突拍子もないとは自分でも思うが、ある朝起きてネットで自殺名所の森を見かけ、そう思った。綺麗な森だった。興味本位と思春期特有の絶望だけ引っさげて、自分でも驚くほどの行動力で森へと向かった。学校に行かなくなってから約3ヶ月、すっかり風が冷たかったのを覚えている。
その寒さが心地よかった。必死な思いで自転車を漕いだ。一人で勝手に消えてやる、ざまあみろ。
ギアを重くしたペタルを懸命に踏んでいると、ふと胸のうちから、じわりと広がる何かがいた。ぐっと堪え、溢れ出すのを制止するとそれは諦めたように引いていく。
もし自分が死んだとして、悲しむ人間なんかいるんだろうか。
中学生の心象は、いつだって薄っぺらだ。くそったれ。
そして獣道に入り、自転車を降りた。自分の服装が家から出たままのジャージ一枚であることが心許ない。パーカーでも羽織ってくれば良かった。
坂道をどんどん進む。辺りがすっかり暗がりに包まれても不思議と怖くなかった。
誰かいる。
心臓が割れそうに跳ねた。真冬の森の奥深く、道が舗装されてないほぼ獣道に人間らしき影。脈打つ鼓動を抑えながらも好奇心が勝ってしまい、木の陰から向こうをのぞき見るとそこに少女がかがんでいた。
人影を見ただけでびっくりしたのに、身体の半分は透けて長い異色の髪が微妙に光っていたのだからなおさら驚いてしまった。
「誰」
姿に反して低めの声が響く。しまった、気づかれた。
「こ……こんにちは?」
動揺のあまり疑問形になってしまう。
森に紛れそうな色の瞳がこちらを覗く。
「あなたも祈りにきたの?」
祈り?
「……見たこともない格好してるのね。こんな時間に何の用?」
「見たこともない格好って、普通にジャージだけど。学校の」
そういう目の前の人物は白装束のような格好をしている。探検や観光にしては明らかに不向きな、真っ白で裾の長い着物状の服装。祈りだって?一体この子は何をしていたのだろう。
「じゃーじ?上下が分かれてる服なんて変なの。そんなんじゃ神様がお怒りになるわよ。着替えて出直したら?」
「え?」
話に全くついていけない。と言うか見えない。
「神様って……」
「変な冗談はよしてよ、あなたも樹守者なんでしょ。ここに入る前、説明受けたでしょ。もしかして初めてだから戸惑ってるの?自信がないなら家までついてってあげるから、さぁ着替える!!」
「ちょっ……」
言われるがままに手を引かれる。
それが彼女との出会いだった。
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