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期待を手放して感謝と感動の中でぬくぬく過ごす

大学生の時に先輩の部屋に遊びに行ったことがある。
先輩は彼女と同棲してて二人で住んでいた。
遊びに行って驚いた、壁に家事分担の割り振りが書いてあった。

その時、すでに自分は一人暮らしを始めていた。
一人ですべての家事をやらなきゃならない自分から見たら「家事」を「分担」できるのは楽で羨ましいと思うこともできたかもしれないが、実際それを見てゾっとした。

役割分担は明確に「期待」された「義務」だった。
義務を怠るとケンカになったり嫌な思いをさせたりするのだろう、だから見た時ゾっとしたのだと思う。

一人暮らしの自分は、火曜の燃えるゴミの日にゴミを捨てなくても何も思わない。「あっ忘れてた木曜日捨てよう」と独り言を言うだけだったと思う。
もし先輩が、火曜にゴミを捨て忘れたら同棲中の彼女は落胆し文句を言ったり怒り出したりするのだろう。

じゃあ、役割分担などなかったらどうだろうか。
火曜日にゴミを捨てる担当などないので、ゴミを捨てたいのなら自分でやるしかない。それでもし相手がゴミを先に捨てておいてくれたら感謝したり、感動したりする。「やっておいてくれたのね」っと感動してもらえる。

でも、役割分担などと言うものがあるから、役割の義務を果たしても誰も感動も感謝もない”やって当たり前”の行動になる。
義務を果たしてもいいことは何もない。義務を果たさなければ罰にちかい状態が待ってる。

ほんとにその基準で大丈夫だろうか。期待しすぎじゃないだろうか?
他人に感謝して、他人に感動して生きていけたら幸せじゃないだろうか?
最もイージーな手段は他人に期待しないことだと思う。

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