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コロナ禍は意味を突きつめる千載一遇の機会

コロナ禍は、「ナイトの不確実性」、すなわち何が起こるかもその数量化もできないという状況に世界を陥れました。こうした状況で、私たちはどう判断していくべきか?

出口APU学長に、「ものごとを正確に把握するには、『縦軸、横軸、算数』の方法論を使う」という言葉があります(ややうろ覚えですが)。縦軸は歴史、横軸は空間(世界)、算数はデビデンス。とても意味のある言葉だと思います。

さて、コロナ禍のもとで現在起きつつある事態、たとえばリモートワークやオンライン会議やオンライン教育などは、もうそれ以前の状態に戻ることはないといえるでしょう。過去、人類が獲得した技術で、一度そのメリットを大衆が実感してしまったにもかかわらず、後戻りした歴史はありません

ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で通勤(痛勤)し、あまり意味があるとは思えない残業を重ね、仕事第一の生活を送るという慣習は、すでに無理がありました。それを変えていくことは、既に大きな流れになっていたと思います。オンライン会議やオンライン教育は、欧米では既に常識になりつつあった。

ただ、対面コミュニケーションを重視する日本では、本格的変化には漠然とまだまだ10年や15年はかかると思っていました。その時間をコロナ禍が一気に短縮したのです。

一方で「対面」の価値は逆に高まると思います。これも歴史が教えてくれます。TVが普及したからといって映画はなくなりませんでした。人間は普段はあまりその意味や価値を深くは考えていないため、ユーザーは当初有料だった映画から無料のTVに流れていきました。そこに質的差異はあまり認めておらず手軽さを重視したのです。しかし、その後TVでは表現できないものを映画は追求することで、再び価値を高めていきました。

また音楽配信が一般的になり音源がコモディティ化することで、かえってリアルなライブの価値は高まりその市場も拡大したということもあります。

深くは考えない私たちは、基本的には差異に鈍感です。しかし、何らかのきっかけで差異が意識される状況になれば、人はその差異ごとそれぞれの意味に磨きをかけていくような方向に進むというのが、歴史から学べることだろうと思います。

オンラインでのライブや、オンライン学習の意味も突き詰められ、さらに磨きがかかっていくでしょう。リアルのやむを得ない代替ではなく、オンラインならではの価値の追求が始まります。たとえば海外旅行に強いHISは、海外旅行が一切できなくなってしまった現在、現地駐在スタッフが現地をネット画面を通じて案内してくれるオンライン海外旅行を始めました。お店で買い物もできます。窮余の策のようにもみえますが、私は大きな可能性を感じます。ポストコロナにおいても、海外旅行に行きたくても行けない人は大勢いますし、オンラインで仮想体験したうえで、詳細な計画を立て実際に旅行するのが当たり前のスタイルになるかもしれません。

一方で従来の対面で実施する研修や、物理的に出社する働き方の意味も突き詰められるでしょう。なぜ大学にはキャンパスが、会社にはオフィスが必要なのか、といったこれまであまり考えもしなかった、リアルで人と人が交わることの意味。リモートでは獲得できないものは何なのか。初めて真剣に考えることになるでしょう。これは人間が生きていくうえで、とても有意義なことだと思います。(その結果、まがい物は即淘汰されることになる)

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何の疑いもなく神を信じていた中世ヨーロッパの人々が、ペスト大流行に無力だった教会に疑問を抱き、神と人間の意味を追求した結果ルネサンスが花ひらいたように、これから一人ひとりが深く意味を考えることで、好ましい世界に変わっていく、そんな密かな希望を抱いています。




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