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空間との相互作用:「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」を観て

府中市美術館で開催中の、「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」を観てきました。彼女の作品とは、絹糸と空間の相互作用で、不思議な場をつくることと言えると思います。広い美術館の展示空間で、実質的に3つの作品のみがつくられています。(紹介動画はこちらから

最も広い展示室1は、最も理解しやすい作品らしい作品の空間です。以下の写真は、美術館のHPににある2018年の類似の作品です。作品を持ち込むのではなく、現地で制作するのでHPには掲載できないのです。

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作品の説明をするのが難しいので、置かれていた鑑賞ガイドから解説を転記します。

東西南北の方角にあたる壁の高い位置に支点をつくり、そこから4本の糸を伸ばして、中央の筒状のかたちを吊ってあります。床には、絹糸がネットの下を始点として、同心円状に渦を巻くように置いてあります。円の直径は7mほどです。
糸は全て池内により6日間かけて巻かれました。糸はすべてつなげてあり、長さはおよそ2万2千mになりました。

上の写真よりも、もっと大きく存在感がありました。同心円は、1.4cm から720cmまで広がっているようです。(写真の作品は、18cmから360cm)贅沢な空間です。上空の筒状のかたちは、上部だけ四角形に広がっているように見えました。浮いているモノと床の同心円のモノは、間の空気を介して呼応しているようで、(古いですが)無限の宇宙空間にひっそり浮かぶ、アポロ11号の母船と月着陸船を連想しました。ふたつの物体は離れているが、離れていない。ひとつの空間を構成している。また、赤い絹糸が血管のようにも見えて、展示室全体が生きもののようにも感じました。

展示室2は、シンプルです。

南北に張り渡した糸の中央に、たくさんの結び目をつけた糸が1本垂れ下がっています。
使われているのは、新潟の「朝日村 まゆの花の会」による手撚りの絹糸です。

3室の中で最も薄暗い部屋の中央に、一本の白い糸が垂れ下がっている。それを支える上部に貼り渡した糸は、ほとんど見えません。垂れた白い糸は、空調に反応しているのか、ゆっくりと揺れています。人が近寄ると、それで発生する空気の揺れが、糸にもそのまま伝わって、揺れ方に影響を与えるのでしょう。そういう意味では、空間と糸、そして糸を観ている人の三者でリアルタイムに作品を創造していると言えなくもありません。観る人の存在が糸に影響を与えるので、自分自身が存在しない状態を観察することはできない。まるで量子論を形にしたようです。また、たくさんの結び目も糸の揺れに、微妙な影響を与えるのでしょう。結び目は過去に人が手作業でつくったもであり、そうした過去を象徴しているのかもしれません。時間も空間を構成している。

最期の展示室3は、最も感銘を受けた空間でした。以下は、やはり美術館のHPにある類似の過去の作品です。

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展示室の長手の壁に沿わせて張った5mの軸糸に、10cm間隔で糸を結び付けています、対面の壁を行き来して東西に糸を張り渡しました。ガラスケースの中にも、同じ規則で糸を渡してあります。

上の写真とは、だいぶ印象が異なります。照明を落とした室内に、入ったばかりの時は、張り渡された複数の糸が目に入りませんでした。あるはずだと動き回るうちに、うっすらと照明に反射して糸が見えてきました。ただ、最初は色がよくわからず、透明に近く見えた気がします。やがて眼が慣れ、また動くうちに整然とアーチ状に垂れさがった、たくさんの赤い絹糸が見えてきました。驚くほど鮮明に。いや、鮮明というよりも、なんとも艶っぽく見えました。絹糸は蚕が吐き出したもので、生命力が宿っているからかもしれません。不思議な赤でした。でも、少し角度を変えるとまたよく見えなくなります。

さっきまで見えなかったものが、忽然と見えてくる。ずっと存在していたが、ただ見えていなかっただけ。視覚能力のいい加減さを実感しました。観ているうちに、これって視覚だけではないとの思いが浮かびました。見えていなかった糸が急に姿を現すように、人生にはもともと存在していたが見えていなかったものが、突然姿を現すことがあります。その代表は死でしょう。誰もが死ぬ。それは誰もが知っている。しかし、普段は死の存在は見えていない(忘れている)。しかし、それが突然姿を現す。しかもシャープに。

座っている係の人に照明の明るさについて尋ねると、明るさも作家がすべて決めたそうです。掃除のときなどにもっと明るくすると、糸ももっと鮮明に見えるとのこと。作家はあえて見えにくい、この薄暗さを選択しているのです。中には絹糸の存在に気付かずに、通り過ぎてしまう人もいるかもしれません。

絹糸は、張力と絹糸の重さと重力のバランスで、とても美しい円弧を描いています。そこにも、自然の摂理のようなものを感じます。また、このカーブも、観客が多いと人体が発する湿気の影響で、微妙に形が変わるそうです。残念ながら私以外に人ががほとんどいなかったので、それは体感できませんでした。


空調や照明、空間と絹糸、それに見ている自分が相互作用して構成している作品。作家は、それに方角も加えているといいます。それは実感できませんでしたが、見えていないものにも何か影響されていたのかもしれません。

絹糸というとても人間的な素材を、結んで長くしてそれを空間に「置く」。そこに身をさらすことで、さまざまなことを身体が感じる。とにかく、普段あまり使っていない感受性を、大いに刺激される展覧会でした。




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