見出し画像

日本にとって成長は不可欠か?

日本にとって成長は不可欠なのか?

この素朴な疑問について考えさせられたのは先日、NHK番組「最後の授業(立命館アジア太平洋大学出口治明学長)」を観た時です。

出口氏がスタジオで講演し、それをオンラインで観ている主に二十代の若者が質問するという番組でした。その中である女性が、「日本は成長しなければいけないのですか?」と出口氏に質問したのです。私は一瞬ドキッとし、出口氏がどう答えるかに注目しました。あまりに素朴ですが、本質的な疑問だと感じたからです。

出口氏は、およそこのように答えました。
「経済成長は絶対必要です。日本はますます高齢化が進むので、年金や医療費を賄うための財源がもっともっと必要になります。そのためには、経済が成長し続けなければなりません。もし日本が成長できずに困窮した老人ばかりになれば、社会の活気はなくなります。そんな社会に住みたくはないでしょ?」

質問した女性は、zoomの画面の向こうで少し戸惑ったように見えましたが、「そういう視点は持っていませんでした。ありがとうございました。」と言い、質問を終えました。私には彼女が納得したとは、到底思えませんでした。成長のデメリットには触れていなかった。でも空気を読んで話を締めたのではないでしょうか。

私は出口氏の回答に、失礼ながら一瞬高度成長期に成功した生保マンの姿を見てしまいました。成長が全てを癒す時代においては成長=善です。したがって、そのパラダイムにおいては出口氏の回答は正論だと思います。

しかし、現代はそうではありません。成長の弊害が地球環境含め、あらゆるところで顕著になっています。これ以上の成長を続けることのメリットとデメリットを彼女は計りかね、それで出口氏に質問したのではないかと思います。

出口氏の回答に対して、旧世代の老後を養うために若い自分たちがひたすら成長を目指すために疲弊しなければならないのか、それで自分たちは幸福になれるのかと疑問を抱いてもおかしくありません。

アベノミクスによって、これだけ日本国中におカネをばらまいても、デフレは続き成長もほとんどしていません。以前はこの傾向は日本だけかと思っていたら、他の先進国も日本の後を追ってきました。そこにコロナ禍です。

私たちは、そろそろ成長至上主義から脱却する時代に入っていると思います。成長経済をひたすら目指すのではなく、成熟経済にパラダイムシフトすべきです。成熟経済のもとで人々が幸福になるためのインフラや制度、働き方などを目指す、もちろん出口氏が心配する社会保障も。パラダイムシフトです。(こういう議論を国会で見たい・・)

誤解されたら困るのですが、私は出口氏の著作や講演には感じ入ることがとても多く尊敬しています。その出口氏ですら、成長の呪縛から逃れられない。それだけ、バブル崩壊前に働き盛りだった日本人にとって、成功体験に基づく成長至上主義は強固なのです。

しかし、質問した女性のように、物心ついた時からほとんど成長する日本を見ていない若者は、そもそも成長する社会をイメージすることは困難でしょう。だから、これからの日本にとっては、彼女らが「希望」です。成熟経済を当たり前だと考え、その社会で多くの人々が創造性を発揮して幸福になる方法を追求する、そんな生き方を邪魔しないでサポートするのが、私を含め成長期を体験した五十代以上の役割だと思います。成長は目的ではなく結果なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?