自分を大事にしたら自分を失う:「岡本太郎展」を観て
上野の東京都美術館で開催中の岡本太郎展を観てきました。岡本の人間性のようなものも感じられる、とても面白い展示でした。
彼の絵画は、正直言ってあまり好みではありません。ただ、今回たくさんの絵画を観ることで、彼の内面のエネルギーを晩年まで絵画で表現し続けたことに、感銘を受けました。どんな天才でも、齢を重ねるにつれて内面のエネルギーは衰え、よく言えば枯淡の境地に達するものでしょう。彼はそうではありません。「ぶつかり合うことが調和だ」との言葉を残していますが、生涯何かとぶつかり合っていたのでしょう。
今回は絵画以外にも、たくさんの立体作品も展示されていました。私は絵画作品よりも、立体の方により心を揺さぶられました。入場してすぐに迎えてくれる「若い夢」という大型の立体作品。若い頃の、無邪気で何の不安もない明るい未来に思いを馳せる、そんな誰もが通り過ぎてきた心持ちを思いおこさせてくれます。
太郎の立体作品といえば、誰もが知る1970年万博の「太陽の塔」。
正面に据えられた未来を象徴する「黄金の顔」と、現在を象徴する「太陽の顔」は有名ですね。
私も小学一年生の夏休み、万博を訪れました。もちろんあの力強い太陽の塔は印象深いですが、塔の裏側に描かれている黒い顔がなんとも不気味で怖かったことを未だに覚えています。今回展示された塔の縮小模型をみて、あらためてあの時感じた恐れと違和感を思い出しました。
この「黒い太陽」は過去を象徴するそうです。表の「太陽の顔」と裏の「黒い太陽」は、対となっているように見えます。今回これを見て想起したのは、能で特別な位置を占める「翁」の面です。
一般に翁と言えば、左側の白い翁を指し、シテ方が演じます。国土安寧を祈る「静」の存在。右側の黒い翁(黒式尉)は、狂言方が演じ、五穀豊穣を激しい舞(三番叟・さんばそう)で祈る「動」の存在。白い翁と黒い翁は、対となって祈りを捧げます。フランスでマルセル・モースから民族学を学んだ太郎は、マスク(仮面)に並々ならぬ関心を寄せています。太陽の塔には、日本の土俗的な信仰の要素も表現されているように感じました。また、太郎が提唱した抽象と具象、愛憎、美醜など対立する要素が生み出す軋轢のエネルギーを提示する「対極主義」にもつながっています。
さて、小学生の私が何となく怖さを感じたのは「黒い太陽」だけではありません。塔の内部には巨大な「生命の樹」が聳えており、その周囲を回転するエスカレータに立って、生命の進化過程を見ることができました。それがなんだか怖く、すごく記憶に残っています。今回、「生命の樹」の模型も展示されていました。
なんでこれが怖かったのか?自分自身もこの進化を表す「生命の樹」の一部だと感じたものの、それをうまく受けとめることができず恐ろしかったのかもしれないと、腑に落ちました。
最後に紹介したいのが、下の意見広告です。ベトナム戦争さなかの1967年、ベ平連がワシントン・ポストにベトナム戦争反対の意見広告を掲載しました。ここに「殺すな」と太郎が書いたのです。日本語がわからない人でも、この文字を見ただけでその意味を察するのではないでしょうか。太郎の意志とエネルギーがこの文字に乗り移っているようです。
この文字をみて、ある話を思い出しました。
太郎は、日本歴史の古層に通じる諏訪が大好きだったそうです。そして、諏訪の定宿だった下諏訪温泉の「みなとや旅館」の女将からこんな話を聞きました。(白洲正子・次郎夫妻も定宿にしていました)
年末に泊まった太郎に、女将は来年の干支の「馬」の文字を毛筆で書いてほしいと気軽にお願いし、用意してあった大判の紙と墨と筆を渡したそうです。すると、太郎はとても嫌な顔をして、しばらく黙っていました。やがて「女将の頼みなら仕方ないな」と言い、畳に紙を敷き筆を手にしました。しかし紙を睨みつけ唸るだけで、筆はちっとも動きません。そのうち、寒い部屋にも関わらず、額から汗が滴り落ちてきました。後ろでずっと見ていた女将は、とんでもないお願いをしてしまったと、申し訳なく思ったそうです。やがて一気に筆を動かし一息で書き終えました。そして、女将の方を振り返るなり紙を突き出し、「これでどうだ」と女将に渡したそうです。本物の芸術家とは、そういう人なのです。その作品を、私も宿で拝見しました。誰がどう見ても、馬という生きものにしか見えない文字でした。(翌年以降も、女将は干支の文字を依頼したそうです。女将すごい!)
会場には、太郎の映像もたくさん流されていました。その中で語った、
「自分を大事にしたら、自分を失う」
という言葉が、岡本太郎という人間を理解するうえでとても有効だと思います。
「自分を大事にする」こととは、現在の表面的な自分を守り維持することであり、自分自身の本質をないがしろにして、本来の自分が持っている可能性に蓋をしてしまうことになります。そうして、自分で自分を失わせてしまうのです。太郎はそんな日本人をたくさん見てきて、警鐘を鳴らすとともに、自らTV番組にまで出演して、実践で示していたのだと思います。
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