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メンタライゼーション:心がうまくはたらかない時

誰でも失敗した経験はたくさんあるでしょう。齢を重ねてくると、それら失敗経験の多くにみられる共通点のようなものに、気づくようになると思います。
 
恥ずかしながら告白しますが、私の場合は「時間プレッシャー」です。それは、締め切り時間を守れないという意味ではなく、約束した時間(勝手に自分で決めたもの含め)を守ることに必要以上に敏感になり、予期せぬ理由でそれが危うくなるとそれをプレッシャーと感じてしまい、その結果失敗を引き起こすという現象です。
 
考えてみれば、小学生時代から夏休みの宿題は、まず初日に作業計画を立てることから始める傾向がありました。それを、きちんと守っていくことに喜びを感じるような変な子供だったのかもしれません。
 
ただ、それは決して計画的な人間だということではありません。結構、行き当たりばったりでここまで来ました。そういう、人生に関わるような長い時間軸には、どちらかというと鈍感です。もっと短期の時間。
 
例えば、映画でも公演でも、遅れて入るのは嫌いです。かといって、30分前に入っているというような周到さも持ちません。きっと、5分前くらいに滑り込むのが、何となくいいと思っているようです。一緒に出掛ける妻が、準備に手間取っていると、イライラしたものです。
 
少しの遅れなど大したことないと頭では理解しているのですが、時間に遅れるということがなぜか嫌いで、それが危うくなると頭がカッカしてくるようです。そうして、失敗する。車を運転して公演に向かう際に遅れそうになり、焦って一旦停止を怠り警察に捕まったり、約束の時間を間違えて遅れてしまったことに気づき、その対応で失敗し後悔したり。
 
「間に合わないかも」というプレッシャーを感じると頭に血が上り、余裕がなくなり思考力が減退しそれが失敗を引き起こす、そういうパターンが何度もありました。
 
これは、予期せずそういう状態に陥ると起こる現象のようで、学校での試験のように最初から時間が決まっているような状況であれば、終了時間が迫ってきても、さほどのプレッシャーは感じなかったように思います。たとえ時間切れであったとしても、それは自分の能力不足だから仕方ないことと自覚していたからかもしれません。
 
最近、こうした現象を、「メンタライゼーション」という概念で説明できることを知りました。
 
メンタライゼーションとは、
①  自分や他者のこころの状態に思いを馳せること、及び
②  自分や他者の取る行動を、その人のこころの状態と関連づけて考えることです。
 
そんなこと普通にできるよと思うかもしれませんが、人はある程度以上の強さの感情にさらされると、他者や自分をメンタライズ、すなわち人のこころに思いを馳せることができなくなるのです。そして、その原因の一つは覚醒にあります。
 
縦軸にメンタライジング能力、横軸に覚醒水準のグラフをイメージしてください。このグラフに、上に凸(山型)の線を引いてください。
 
「覚醒」とは、外界もしくは内界からの何らかの刺激を受けて脳の活動が活性化している状態です。横軸の左側は覚醒水準が低い状態です。寝ぼけているときとか、酔っぱらっているときがその典型。そんなときに、メンタライジング能力が低いのはよく理解できます。
 
そして、覚醒水準が徐々に高まるとメンタライジング能力は向上するものの、覚醒水準がある閾値を超えると、逆に能力が低下していきます。「過覚醒」と言われる状態です。非常に強い刺激が入力された結果、脳の興奮の度合いが通常の範囲を超えてしまって、こういう時メンタライジング能力は再び低下します。
 
これは生物が危機に直面した際の、自己防衛本能に由来するようです。敵を発見した瞬間(過覚醒)、考えるスイッチを遮断し、即座に戦うか逃げるかを判断し行動を取ります(「闘争-逃走反応」)。メンタライズしている場合ではないのです。
 
私の場合は、どうやら予期せぬ「時間プレッシャー」を危機と感じやすいようで、そうなると過覚醒し、メンタライジング能力が低下しつい思慮浅い行動に走ってしまう。冷静に考えれば「危機」ではないのに。(猛獣に襲われることがない現代において、何を危機と捉えるかは人それぞれなのでしょう。ちなみに私の場合、時間以外のプレッシャーにはあまり反応せず、かえって鈍感なくらいです)
 
上述のグラフを見て、深く納得しました。いまさら、こうした特性に逆らうことは難しいでしょうが、予期せぬ時間プレッシャーなどで過覚醒に陥りそうになった時に、メンタライジング能力が低下しているのでは、と疑うことくらいはできそうな気がします。
 
さらに、もう一つ、メンタラーゼーションからの興味深い示唆があります。それは、
「近しい人が関わると、メンタライジング能力は低下する」
というものです。これは家族関係などを考える際に有用です。近しい相手には多くを言わずとも、自分のことをわかってくれるだろうと、無自覚に期待してしまうからなのでしょう。会社内での人間関係でもあるかもしれません。
 
人はある状態に陥れば、誰もがメンタライジング能力を低下させてしまいます。自分自身がそうなってしまう可能性を自覚すると同時に、他者もそうなりえることも意識しておきたいと思います。そうすることで、少し生きやすくなるに違いありません。
 
 
 
参考:「メンタラーゼーションを学ぼう」(池田暁史著)


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