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謙虚さと想像力

年末は、この一年を振り返るのに適しています。

先日、濱口監督の「偶然と想像」という映画をとても興味深く観ました。人は偶然の出来事に遭遇したとき、どんな想像を創り出すのかがテーマです。予期せぬ偶然は、想像を起動させて世界を変えてしまいます。

ところで話を戻して、私にとってこの一年を振り返って心に浮かんだのは、「謙虚さと想像力」という言葉でした。それに関する言葉が心に残ったのです。


謙虚とは無気力の謂(いい)ではなく、無限を知ったことから生まれるポジティブで、希望に溢れて生を形成する感覚です。(アンゲル・メルケル)

これまで会った「この人はすごい!」と敬服した方々に共通するのは、皆さん謙虚だということです。「すごい」と「謙虚」がなかなか頭の中で結びつかなかったのですが、このメルケル氏の言葉で腑に落ちました。すごいと思えるような人は、私たちが見えている世界よりも、もっと広く深い世界が見えています。

つまり「無限」を知っており、そのうえでいかに自分が小さい存在なのかを認識しています。だから謙虚になるのです。そして、無限を知ることは、自分がさらに大きくなる余地を示唆し、そこに近づいた姿を想像させます。だから「希望」に溢れ、「生」を駆動させ「形成」させていくのです。


人間は、理解しえないものの力を借りることで、はじめてあらゆるものを理解することができるのだ。(G・K・チェスタトン)


人は、ロジックでものごとを理解しようとします。自分の限られた知識や経験を材料に、ロジックを組み立てて、それが自分の中にある既存の枠組みに収まれば、理解し納得するわけです。しかし、ときにそうしたロジックでは理解できない事態に遭遇します。どう考えても理解できないし、納得もできない。

それは、小さい自分の枠の中での思考に過ぎません。それゆえ理解できないことも納得できないのも、なにも不思議なことではないのです。「無限」を知らないのですから。自分が理解できない理由を、他者や環境に求めるのは傲慢です。謙虚になるべきです。自分の限られた思考では理解できないことは当たり前だとわきまえ、「理解しえないもの」の力を借りるのです。それが無限に近づくことなのでしょう。

たとえば、「そんなことをすると罰(ばち)が当たる」という言い回しがあります。そこには因果関係もロジックもありません。でも、そうした「理解しえないもの」の力を借りることで、生きていく上での理解や納得が進むこともあるでしょう。

それは神や鬼かもしれませんし、言い伝えや民話かもしれません。もしかしたら、人の心もそうかもしれません。論理を突き詰めても、見えるものはほんのわずかに過ぎません。「理解しえないもの」を想像する感受性が、「あらゆるものを理解する」ことを助けてくれます。そのように理解することが、人に生きる力をもたらしてくれるのだと思います。

私は謙虚になれているか・・・。よくわかりませんが、この一年で少しだけ前よりは謙虚になれた気がしています。

それでは、良いお年をお迎えください。


追伸:今月17日に「人の顔した組織」と題する本を、東洋経済新報社より刊行しました。ロジックではなかなか理解できない組織を、想像力を駆使して書きました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4492534474

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