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私が星を追い続ける理由


あわゆきです( •ᴗ• )


星詠みを本格的に深めるようになったのは
確か私のASC(山羊座14度)にトランジット冥王星が重なってから数年後だったように記憶している。

ASCに冥王星が重なっているのは、2002年だから、そこから3年で考えても2005年。

そのうち数年間は西洋占星術から離れていた時期があるにしても
ざっくり計算して15年ほどは星詠みに向き合っていることになる。

そりゃあ歳も取るわけよねー笑

…おっと、話はそこではなかった。

☪︎*。꙳

基本的に、筋トレすらまともに続かないぐーたら気質の私が、どうしてタロットや西洋占星術を続けているのか。

そして今もなお魅了され続けているのか。

まるでそれをすることを約束されてたみたいな


先日「あわゆきさんが星詠みを好きになったきっかけを教えて欲しい」と
星詠みサロンの人に尋ねられた。


正直、なにか雷に打たれるようなエピソードというのは持ってないのだけれど

それでも
星詠みに触れるたびに
星詠みのやり方や見方を、ひとつ覚えるたびに


私のなかで理解できずに息苦しく感じていたことの理由が
私が地球で生きることを選んだ意図が
どうしてあの人にはできて、私にはできないのか
そして、私にできることは何なのか
劣等感や嫉妬の正体は何で、それはどう向き合う必要があるのか

そういった、私のなかに深く鎮座していた
『漠然とした生きにくさ』が
星詠みを深めていくたびに、ほどけていくのを感じていました。

それはまるで
地球にやってくる前に
『生きにくさ』を感じても
その奥にあるものを
その奥にある本質的なうつくしさを見いだせるように
楽しんで地球生活を続けられるように

地面のあちこちに植えられた種のように
そのタイミングが来たら、開けることのできる宝箱のように

まるで、最初から仕込まれていたもののように
それはそこにあったんです。

☪︎*。꙳

私自身を救いたくて
私自身が何者なのか知りたくて
星に向き合いはじめましたが

星に触れるたびに受け取るものは
癒しとかそんなものではなくて
もっと広大で、深く

私の小ささや愚かさなど承知の上で
見守り、慈しみ、そのうえで選択肢を与えてくれるもので

そのたびに息をのみ、泣き崩れそうになるのです。

私たちの愚かさを承知の上で見守ってくれている


例えば、サビアン。

サビアンは現代の聖典と言われるくらい
どこまでも深く詠みとくことのできる
12星座‪の物語を、各30場面に区切られたものだが
そのひとつひとつを読み進めていくと
人間くさい場面に出くわすことも結構ある。

物欲が止まらなくて、自分の経済力と折り合いつかなくて自己破産する男や
計画なしに勢いだけで行動に移して、爆破失敗とか
「これがかっこいい!」と思っていたファッションが時代遅れと知り、恥ずかしかったり悔しかったりとか


結構人間くさいというか
‪(ᯅ̈ )ウワァ…と思うような場面もある。

それでも、物語は続いていく。


続く選択肢を用意してくれる宇宙は
ほんとうに寛大だと思うし

それは

「愚かしいけれど、ゆっくり成熟していきなさい」

という、宇宙からの愛であり、エールだとも思う。

アングルのサビアンを詠むだけでも、そこに大量の情報が隠されている


私のASC(アセンダント)は山羊座14度だと話したが
サビアンだと+1度をメインで見ていくので

山羊座14度
「花岡岩に刻まれた古代の浮き彫り」

山羊座15度
「病院の子供病棟にあるたくさんのおもちゃ」

になる。


ASCは、車でいうところのボディであり
その人の表層的なキャラクターや体質を表してたりするのだけれど

「花岡岩に刻まれた古代の浮き彫り」
より専門的に、先進的に、研究を進めてきた人が、遥か昔に刻まれたレリーフから、自分が研究を進めてきたものを見つけ

「自分が進めてきたものは間違ってなかった」という安堵と同時に
「先進的に行っていると感じていたものは、実は先人が既に行っていた」という事実を知り、特別なことをやってた訳じゃないんだ、と
まるで風船が萎むような気持ちになるところで


「病院の子供病棟にあるたくさんのおもちゃ」では
その知識を、より根本的なところから見つめ、掴み取り、それを、おもちゃという親しみやすいものに想いを託し、根っこのほうへアプローチをしていくところなんですよね。

……なんというか、そのまんま過ぎて、ちょっと笑ってしまうのよね。


15度というのは、そのサインの特性がマックスに出てくるところ、というところから考えても、自分らしいな、と感じざるを得ないのよね(´・ω・`)

そりゃあさー、昔は植物的な雰囲気漂う儚げな人(ぇ)とか憧れたけど、どう考えてもそういうタマではないのよねー笑

私はわたしを生きるしかないんだな、と、ある意味諦めのような、でもちょっと笑っちゃうような、そんな気持ちになってしまう。

そして、さらに笑っちゃうのがDES(ディセンダント)で
DESは、人間関係の窓口と言われている場所で、人に見せている姿や人との向き合いかたが出やすいんだけれど

サビアンだと

蟹座14度
「北東の大きな暗い空間に向いているとても年をとった男」

蟹座15度
「ありあまるほどの食事を楽しんだグループの人々」

ここらへんのサビアンの流れって、自分の内側の声に深く耳を傾けた果てで、「なにもない」ことを知り
そこから世俗に戻り、世の中にある恩恵を享受するところなんだけれど

…なんというか、もうサビアンの言葉だけで、まんま過ぎて笑っちゃうレベルなのよねー笑笑

特に「ありあまるほどの食事を楽しんだグループの人々」っていうタイトル自体、既に生粋の食いしん坊まんますぎるのよ笑笑


個人的にも、なんというか底の部分を見たからこそ
自分の手元にやってきたものを、ありがたく受け取って、地球を楽しむことを意識してるのかもしれないなあ。
なんとなくだけど。

人の一生費やすくらいでは終わらない深さと広大さがある


ASCとDESのサビアンを詠むだけでも
こんだけ広がるのに

そこから
アスペクトやサインやハウスといった基本的なところから

サイデリアルやヘリオ、ドラコニック、小惑星や恒星、赤緯…

最近は占星術に留まらず
天文学や神智学、数学にもハマりつつあるのですが

それでも、まだまだ知らないことや
把握しきれていないことが多すぎるのです。


それはまるで、誤解を恐れず言えば
『一生かかっても遊び尽くせるおもちゃ』を手に入れたようでもありますし

たかだか人っ子ひとりの一生を使ったくらいで
理解出来るほど浅いものではないと
笑われてしまいそうなくらい膨大で

それは、そんな考えすらおこがましく感じるくらいのレベルなのです。

☪︎*。꙳

そして、星詠みや星詠みの背景
さらに目に見えないけれど、そこにあるものを学ぶにつれて

私たちが「自分(キャラクター)」だと感じているものは、ほんとうにごく一部でしかなくて

私たちは本来、ひとりひとりが、とんでもない可能性を秘めているし

私たちが「見ている」と思っているものは
ほんとうに塵ひとつくらいの視点でしかないと気付かされるんですよね。


ほんとうに、ひとりひとりが宇宙を持ってるんだな、と感じるのです。

その人のなかに既に内包している星空を届けたい


…うん、「こいつ何言ってるんだ?(´Д`)」と思われそうだけど、構わず続けるぞ笑


いつか、私が学んできたことをすべて費やして
『プラネタリウム星詠み』をセッションとして送り出すのが、目標なんですよね。


まるで、宝箱を開いたときに
そこからその人のなかにある天体が
空いっぱいに広がるような

その人自身は、知らなくても、信じてなくても
たしかにそこに存在する
その人の本質的な素晴らしさやうつくしさ
地球で能動的に生きるためのヒント

「たしかに地球って、なかなかけったいなとこだけど、楽しめることもあるよ」と思えるような

心がぺっこりして、カフェラテでも癒せそうもない時に
ふと思い出してもらえる宝箱のような
そういうものを届けたいって思っているんですよね。

☪︎*。꙳

『プラネタリウム星詠み』は、おそらく私にとって集大成になりますし
『プラネタリウム星詠み』を形にするには、まだ課題が山積みなので、お披露目するのは先になりますが

それでも、現時点でお伝えできることは、たくさんあります。


ご縁があって
あわゆきの星詠み、受けてみたいなと思って貰えたら
それはこれ以上ないくらい嬉しいことだし
心をこめて、ご用意させていただきますね。

…なんだか取り留めなく、熱く語ってしまったな笑

ここまで読んでくれて、ありがとうございました(*´∀`*)

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