「占い」は本来朽ちていくべき文化だと思う
星詠みや変容タロットを行っているおまえが何言っているんだ、と言われそうだけど、構わず続ける。
まずは、世間一般がいう「占い」ってなんだろう、と思い、Wikipedia先生に聞いたら、こう返ってきた。
「占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断、予言することや、その方法をいう。卜占(ぼくせん)や占卜(せんぼく)ともいう。」
……まあ、そう思われてますよねー(꒪꒫꒪ )シッテタ
個人的に、この『人に答えを委ねている感じ』が、私はめっちゃ嫌いなんですよ。
大事なことなので、もう1回言います。
『唯一無二の自分自身のなかにある「こたえ」を無碍にして、人に答えを委ねているんじゃないよ』
と。
そもそも
その人のなかに、『必要なこたえ』は、全部備わっているんですよ。
ここ、テストに出ます(何)
だから、私たちが、その人に対して
答えを『導き出してあげる』とか
言語道断なわけです。
傲慢にも程があるレベル。
ただ、自分の内側への対話と実践を
繰り返し行ってきていない人(多分そういう人が大多数だと思う)は
それが「ほんとう」に自分の内側からくる声なのか、自信が持てなかったり
それが、自分にとって「正しい」ことなのか
(そもそも正しいもないんだけど、こう考える人は珍しくないと思う)
不安になったり、たしかめたくなったり、というのはあると思う。
そういうときに、信頼できる人に相談するのもいいし
まったく別の視点を持つ人の意見を聞く、という意味で、タロット等をするのもひとつの手だとは思う。
でも、タロットも本来は、近未来をみるというよりは、無意識になっているところや、自分が蓋をしているところにアクセスするのを得意としてるツールだから
人に見てもらうのも悪くないけど、できれば、自分自身で使いこなせた方が、いいのだけれど。
他の人は、どんな感じでセッションをやってるのかは、あまりよく知らないけれど
少なくとも私は
『ほんとうに必要なこたえは、目の前の人のなかにある』
という、その人の本質への信頼を根っこにおいて行っている。
そのうえで、その人自身が、現時点で見えていないことや、伝えた方がいいことがあれば、補足する程度なんですよね。
最初の「占い」は本来朽ちていくべき文化、と触れたのは
『ほんとうに必要なこたえは、自分のなかにある』
ということに、ほんとうの意味で、強く実感できていれば、占いもセッションも必要なくなるんですよね。
どんな形であっても、それが自分にとって『恩恵』になることを実感できるようになるから。
そんなふうに、ほんとうの意味で、心が自立して生きている人たちが増えたら、依存的な占いは朽ちていくだろうし、そうなったら、もっと風通しのいい世界になるんだろうな、とは思う。
でもそれは、まだまだ当分先の話なのかもしれないな、とも思う。
叶うなら、そんな風通しのいい世界を生きてみたいと思うけれど。
…なんだか、話がでかくなりすぎた感はあるけれど
世間一般で言われている、依存的な「占い」と、私が行っている「セッション」に開きがあるように感じたので、取り留めなく書いてみました。
ここまで読んでくださってありがとうございます(´∀`*)
☆セッションのお問い合わせ・申し込み
https://ssl.form-mailer.jp/fms/9c8bd219600315
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?