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あれだけ生きていくのが辛いと思う出来事すら自分で選んでいたんだと気づいた。

すこし、私の話をしようかなと思う。


私の小さい頃から、大人になってしばらく経つまで、よく死ななかったなという人生を生きていたりします。


とにかく生きずらくて仕方なくて

でも死ぬ方法も
知ったとてそれを行動に移す度胸もなかったし
おそらく死のうとしても死に損なう予感しかしなかったので

大人になったら修道院に行こうと決めていた。
  


でも大人になって気づいた。
 

修道院という護られた環境ではなくて
このカオスにうつくしい日常世界で
私にできることをやっていこうと決めて、ここに来たんだと。



その当時は「なんとなく」の感覚でしかなかったけれど、星詠みの学びを深め、星にふれるようになってから、それは確信に変わった。


あれだけしんどくて、思い出そうとしても辛すぎて、自動ロックがかかるような記憶も
私は選んでここに来たんだと。

そう確信したんです。




「ほんとう」の意味で、人に添うことができるのは、同じ痛みや苦しみを知っている人なのだ。


私は、「ほんとう」の意味で、人に添い、その奥にあるものを手渡したくて、ここに来たんだ。



自分のホロスコープを見て、そう確信した瞬間、涙が止まらなくなりました。



あんなに、嫌で嫌で仕方なかった日々も
人の醜悪さに絶望して、もうこんな世界にいたくないと感じたことも

結局は、人に添うためのものだったなんて。


なんて滑稽で、完璧。



ご丁寧に、その願いにそってくれて
私がうっかり忘れてしまっても思い出せるように設計図(ホロスコープ)まで手渡してくれるなんて。


宇宙の用意周到さ加減に、ほんとうに頭が下がる。



私たちが表層的にネガティブだと言って、蔑ろにしているものの奥に、恩恵がある。


それは、星詠みの学びを深めるにつれ、強く実感するようになりました。


これは、誰にも話したことのない話。

あまり耳馴染みのいい話ではないかもしれませんが、ここまで読んでくれてありがとうございました( •ᴗ• )

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