モヤモヤ梅雨時期☔️
お久しぶりです!久々の投稿になっちゃいました!
今年も半分を切りましたね〜梅雨時期で外も内もジメジメ…☔️
そんな中ちょっと私に起こった事と思ったことを書けたらなと!少し長くなると思います。
突然ですが皆さん!
芸能人の中で誰が一番可愛い/かっこいいと思いますか?
いっぱいいますよね〜可愛い系綺麗系クール系爽やか系ワイルド系…きっと皆さん全員が同じ人を指す。なんて事起こらないと思うんです。
それは個人の価値観があるからですよね?要はここで言う「タイプ」です。
芸能界を見れば分かるように複数の方が人気という枠組みに入っています。その中のただ1人だけが人気と断言できる王様のような人はいないですよね?日本だけでも、それを決めるような事はありません。それは個人の価値観があるからです。
さぁここでちょっと違う話…
皆さん自己評価ってどうやってしてますか?
大学生になるとキャリア〜ってやつでやるんですが、大体
・普通に自分の思う自己評価
・他人(友人や家族)が思う他人評価
・その他診断系による評価
などなどあると思います。
ただ私は少しこれに違和感を覚えています。
だって「自己評価」ですよ?
他人の意見が半分以上占めてませんか?
客観性が大事なのはわかります。ただそれが半分以上を占めるほどのものなのでしょうか?
ここで最初に話した芸能人の話です。先程も言ったように「個人の価値観」。前に言った「他人評価」。
他人評価ってその人の個人の価値観で決まると思いませんか?
ex2
ねこまんまってご存知ですか?
なんだよ急にって思いますよねw
ねこまんまは、お味噌汁にご飯を入れて食べるもののことを言います。私の家ではこれは何も変なことではありませんでした。ですが小学校の給食時やったんですよ、ねこまんま。そしたら、それを見た友達が
「何してるの?遊んじゃだめだよ」と言ったんです。
私にとっては普通。でも友人からしたらそれは異常だったんです。
そこでです。
じゃあ、自己評価する時の他人の意見ってどうなんでしょう。
自分にとっての普通が他人の意見によって異常と判断されかねないですよね?
社会の仲間入りをする上で、世間は「普通」という板に私たちを乗せようとします。だから義務教育だって道徳の授業だって社会見学だってやるんです。
悪い事じゃないです。そうしないと生きていけないのは事実だし、その板に乗ったからといって何かを失ったり命に関わることではない。
ただその「普通」を自己評価には入れないで欲しいと思っています。
出来て当たり前、じゃないことだってあります。でも周りは出来て当たり前にしたがります。その流れに乗ると苦しくて溺れちゃいます。
だからせめて自己評価においては、自分なりのフィールドで自分のペースで評価してほしい。
自分より上のフィールドにいる人や優れた人を周りは褒めます。それを見ると悔しかったり羨ましかったり憧れたりします。だからといって無理にそのフィールドによじ登ろうとしないでほしい。苦しくなって疲れて、自分が壊れちゃいます。
ただ、闇雲に他人を拒絶して欲しくもありません。少しの成長、努力を見守ってくれたり、応援してくれる人を大切にしてほしいです。慣れてくるとその声すら聞こえなくなってもっと大きな声が欲しくなると思います。求めても良いです。でもそれが目的となって無理に努力する事だけはやめてください。
ここまで話してきましたが、(矛盾してたらごめんなさい)
他人評価からは逃げられません。だからこそ他人評価で自己評価を作るんじゃなくて、自己評価をする為の後押し程度に他人評価を利用して欲しいです。
利用されるんじゃなくて利用だけして"ポイ"してください。
何急に悟ってんの?ってはなしになりますよね。これからは何故こんな事を考えたかについてです
私の身内が精神科へ入院した事がきっかけです。
その人は会社でトラブルが起きてしまい、その責任を全て被せられ職を奪われるという事が起きました。この時期に、です。
それがきっかけで親戚まで騒ぎが広まり、家族全員が心身共に衰退していました。当の本人は睡眠不振・食欲不振・心拍不振など体力的にも精神的にも衰退していきました。結果精神科への入院が決まりました。
残された家族は気を使い合い、いつもより明るく賑やかに過ごそうとしました。みんな気の休まる場所は自分の部屋にしかありませんでした。
そんな中私も睡眠・食欲・心拍…心身共にやられている事がわかりました。
だって、宅配便のインターホンの後で心拍上がって頭が真っ白になっちゃうんですもんw信じられないですよね。外でなく猫の喧嘩の声。小学生の大声。車のクラクション。車のドアを閉める音。大変でしたw
ただ、この様はプライベートな事、相談できる人はいません。ましてや自粛中。気晴らしなんてものはありませんでした。
その為みなさんに心配をかけることになってしまいました。申し訳ありません。
そんな日常の中で、この状況で私のやりたい事をやっていいものなのか。という壁がありました。演劇、その他の趣味、活動。
結論、私は家族を支えることをとりました。いや家族しか取れませんでした。
だから今この状況でも演劇活動や個人活動、趣味や自分のやりたいことをやれている人。全ての人に嫉妬しました。憧れました。悔しいです。
その時にこの自己評価と他人評価のことを考えていました。その結果が今まで述べてきたことです。
好きな事、やりたい事ができない中でも自分の努力や行動は無駄じゃない。比べるものじゃない。嫉妬も憧れも思っていいけど、同じフィールドじゃない。
私は私なりに自分の為にやりたい事・出来る事を少しでもやっていきたい。みなさんにどう思われても、やりたいからやります。頑張りたいから頑張ります。
そんな私を少しでも見守っていただけたら励みになります。
演劇をする表現者として、こんな暗い話はするべきか迷ったのですが、同じ状況や1人で苦しんでいる方の、考える時間に当てて貰えて、何かのきっかけになればと思い書かせていただきました。
また、皆様の前で私のやりたい事を見ていただける様に努力していきますので、どうぞよろしくお願いします。
(結局は皆さんと価値観を共有する事が大好きな私は、他人評価に縛られっぱなしかもしれません。ですが、それがやりたい事であり、自分のフィールド内でやっていきたいと思ってます。矛盾ばっかりの文かもしれませんが、ここまで読んでいただきありがとうございました)
今回はこの辺で!それでは皆様また
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