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爽快の次にみたいのは痛快?【どまつり】

【爽快】の次にみたいのは
【痛快】だなあ。

2018年の嘉們の大賞演舞をみた
帰り道におもったことです。

【痛快】について
いまのうちに(五輪の開会式をみるまえに)
かけることを書いておこうと。

漢字2文字で【痛快】と書くだけでは、それがどんなニュアンスなのか伝わらないと思うので3つの例を挙げながら。


❶高木琢也さん「だりぃ→」


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私らが今欲してる【痛快】とはどんなものか。その一つのわかりやすい例がコレ。美容師の高木琢也さんのスタイルブック。

これをみたとき、この「だりぃ→」を
「うぜぇ→→→」にしてYOSAKOIでやったら気持ちいいだろうなあ、と直感しました。

サビ前に、ウザイものを
「周囲の期待?」「似合ってる似合ってない?」「らしくない?」「夢?」「愛?」「正義?」のように並べたてて、
サビで「うぜーーーー」(あいみょんの貴方解剖純恋歌のサビのかんじ)と、ぶっとばせたら【痛快】だなあ、と。


❷オードリー若林さん「めんどくせえ」

数年前頃からオードリー若林さんの口から、「めんどくせえなあ」という言葉を耳にします。これを聞くたびに私は「よく言ってくれた。」って気持ちにさせられます。この若林さんの「めんどくせえなあ!!」のニュアンスも、【痛快】の例になると思うので紹介します。


人の目を気にしたり反省したところで、変えられないものは変えられないと感じはじめた若林さん。
•若林さんが「〇〇を気にしている」ことを前提に、くさす→受け身をとる、というかけあいをバラエティ番組で求められたときや、
•共演者が〇〇を気にしてる(気にしたところで実りがないこと)、というような話題のときに、
「めんどくせえなあ!!」と言って、不毛な時間をぶったぎるのです。不毛な思い込みをぶったぎり、不毛な悩みをぶったぎります。

それは呪縛(思い込み)から解き放ってくれる言葉であるような、救いの言葉であるような。そんなふうにきこえます。【痛快】【解放】


❸カズ•ヒロさん「全部周りの目」

カズ•ヒロさんのインタビュー記事。
特殊メイクをつくる人。国籍を変え、名前も変えた人。この人のインタビュー、震えます。これも【痛快】の例だと思うので紹介します。

「日本人は日本人ということにこだわりすぎて、個人のアイデンティティが確立していないと思うんですよ。だからなかなか進歩しない。そこから抜け出せない。一番大事なのは、個人としてどんな存在なのか、何をやっているのかということ。」
「日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います。」
「日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ。」

気にしなくていいことを、ぶっ飛ばしてくれるかんじが【痛快】【解放】です。



ー【痛快】の例❶〜❸のまとめー

❶高木琢也さん「だりぃ→」、❷若林さん「めんどくせえ!」、❸カズ•ヒロさん「全部周りの目」の例からもわかるように、

私は(我々は)、知らぬ間に
不要なことを気にし、思い込み、背負い込んできた。


エンタメでできる2つのアプローチ

「気にしたり」「背負い込んだり」に対して、YOSAKOIでできる(エンタメでできる)アプローチは主に2パターンかしら。

•「私もしょってるし、あなたもしょってる。背負ってる荷物にちがいはあれど、結局我々例外なくしょってくしかねえんだよな、これからも。なあ兄弟。」っていう野原ヒロシ的アプローチ。デススト的ともいえる。【共有•共生が救い】
•それともう一つは、「背負うべきと思い込んできた、不要な荷物おろしちまおうぜ。」というアプローチ。【痛快•解放が救い】


まとめ

以上が、
【爽快】な嘉們をみて、欲しくなった【痛快】についての話です。ありがとうございました。



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