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【閑話休題】菊田医師、赤ちゃんあっせん事件

41歳から妊活を始め、生殖医療にチャレンジしているさやかです。
お仕事は、米国公認会計士として会計事務所の経営、アパレルブランドの経営及びヨガインストラクターとして活動しています。
最近は行政書士の資格に挑戦を始めましたのですが、妊活中、そしてもし妊娠することができたら、その期間に行う活動として勉強が良いと思ったことがあります。
さて、行政書士の勉強の中で、法律の勉強ということで判例を学ぶ機会が多いです。妊活中の私が学び感銘を受けて、涙なしでは経緯を読み進めることができなかった判例がありました。それは「菊田医師赤ちゃんあっせん事件」
産婦人科の菊田昇医師をご存知でしょうか?

産婦人科医として中絶手術をする中で、次第に自身の行為に葛藤を抱き始める。たとえ望まない妊娠や経済的に困難な状況を抱えた中絶であってたとしても赤ちゃんにも生きる権利があるのではないかと菊田は考えるようになった。その問題を解決し胎児の生命を救う為に、菊田は中絶手術を求める女性を説得して思いとどまらせる一方、地元紙に養親を求める広告を掲載し、生まれた赤ちゃんを子宝に恵まれない夫婦に無報酬であっせんするなどした。だが当時は現在の特別養子縁組制度に相当する法律が日本には無かったため、その際にはやむを得ず偽の出生証明書を作成して引き取り手の実子とした。それは実親の戸籍に出生の記載が残らないよう、また養子であるとの記載が戸籍に残らないよう、そして養親が実子のように養子を養育できるように配慮したためだった。

菊田昇 - Wikipedia

中絶のはずが産声あげる赤ちゃん 法律破った医師の信念:朝日新聞デジタル (asahi.com)

生きようとする赤ちゃん。
どうしても育てることができないと中絶を決意する女性。
色街で女性を孕ませる身勝手な男性。(それだけではないと思いますが、菊田医師は色街に育ったそうです。)
子どもを欲しくてもできない夫婦。
産婦人科の菊田医師は強い倫理観と使命感で、違法とは了解しながらも赤ちゃんの斡旋を行っていた。このことがきっかけとなり「特別養子縁組」という制度ができたそうです。
人間、医師としての信念を持ち、法律を破ってでも正しいと信じる行動をとった菊田医師を尊敬します。
今ある数々のルールは、必要性があってできたものですが、その「必要」が生まれた経緯や過程、そのために動いた人の歴史、行動などを勉強することはとても意味があり勉強になります。