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自我に信じる力を与えない 聖霊に信じる力を与える🕊️



真我なるハートのこの動画の中で
のり子さんが、大型車が突っ込んできた時の話をしている2019年7月の勉強会の時、
私も勉強会にリアル参加していた。


最近聞いてみたら、
自分もユタに行く前に色々起きた、奇跡的な話をしていた。

この時、本当は、
こののり子さんに起きたこの出来事と感じたことに、
触れたくなくて、避けたかった。


あの時感じていたのは、
無価値感、置いてきぼりにされているような惨めさ、罪悪感、怒り、嫉妬、虚しさだった。

私にはわかんないよ、、ありがとう、、なんて。

感謝しているのり子さんに、
負けを感じ、屈辱感を感じていた。


そして、それを打ち明ける、
なんてアイデアは浮かびもしなかった。
惨めです、、なんて。

私には愛や感謝なんて、そんなのわからないし、恥だ、
そう感じているなんて認めないぞ。

感じているだけで恥なのに、

感じてないふりしていたい、
のり子さんに気づかれないでいたい、
絶対に口に出さないぞ、悟られないぞ。

そう思っていた。


それより以前、2018年の11月の三崎口で映画の撮影で、
インタビューを受けるファンクションがあった。

その時、
肉体の死に、何度でも逃げ込んだほうがマシだと思うほど、
強烈な罪悪感、無価値感、惨めさ、恥を感じていた。

ラファエルから、
「これはヒーリングです。感じたことを話してください。」
と言われていたのに、

宇宙以前から隠し持っていた、
せっかく隠してきたものを露わにされたようで、
強烈な恐れ、憎悪、罪悪感、無価値感、惨めさを感じていたのにも関わらず、、

映画の撮影でインタビューを受けている私、という体裁を保って、
カッコつけていた。

これを打ち明ける、なんて浮かびすらしなかった。

そして、
私はコースを歩んでいたのに、
こんなはずじゃなかった、こんな目に遭わされた、
あいつが悪い、
私は被害者なんだと言い張り続けた。


何年か経って、
今、ようやく認める。


まさか、
これを打ち明けるためだったのか。

打ち明ける、なんて考え、自分からは絶対出てこなかった。
死んでも隠したいから。

でも、
癒されるために、
正直になって、これを口に出して、
打ち明ける。

私は罪深いんだ、兄弟も罪深いんだ、
絶対に罪はあり得るんだ!
わたしは神の子なんかじゃありません。
罪の子なんです。

そう言い張っていることを認め、
まさにそれを感じている、聖霊に与えられた場で、
打ち明ける。

露わにしていく。
自分にも秘密にせずに。


露わにしたら、

それについて、
聖霊はなんと言っているのか?

それは起こっていないんです。
宇宙以前から、宇宙の中にも、天国の中にも、
どこにも罪はないんです。

そう言っている。
確かに。


私が、
罪深いものなんです、やってしまったものなんです、
という自我に信じる力を与えてきた。
それだけだったんだ。


露わにする理由は、

それはリアルじゃない、
起こっていない、
実在じゃないことを
教えてもらい、受け入れたいから。

そう言っている聖霊に信じる力を与え、
耳を傾け、聖霊の答えを受け入れる。

そのチャンス。


隠しているから、リアルだと信じられている。


一昨日の勉強会で、
ああ、そうなんだな、と思った。



何か深刻なことが本当に、実際に起こっているのではない。

兄弟を見て、そう感じることがあった。


聖霊の答えを受け入れたいと思い、
聖霊に助けを求めて、サレンダーする。

完全無罪を受け入れるまで。

完全無罪、
何も起こらなかった。

贖罪を受け入れたい。

これが間違っていたい。
間違っていたら幸せだ。


それを受け取っていくのに、
心を訓練していくものなんだ。


それは何年も言われ続けてきたし、
コースにも書いてある。

心の訓練だ、と。


無罪なんて受け入れる気なんてなかった。


真我なるハートの勉強会に、もう何年も参加してきたのに、
何度も言われてきたのに、、

あの時も、あの時も、
今この瞬間も、

そうだったのか、、と分かり始めたのが数日前だった。


ずっと、罪があり得るという方に
信じる力を与えてきた。


だんだんと、

聖霊のいうことが本当かもしれない。
私も、兄弟も、無罪なのかもしれない。

一回犯してしまった罪が、なかった、、のではなく、

そもそも罪はなかった。
罪を犯せた、やれたと考えただけ、信じただけだったんだ、
それは起こっていない、という聖霊の方が、

本当だ。
そうなんだ!
本当なのかもしれない。

そう信じられるようになってきた。

だんだんと。

すぐ自我の誘惑に同一化してしまうけれど。


罪があり得ると叫んでいる自我に信じる力を与えず、
それはないんです、
罪はないんですと言っている聖霊に信じる力を与えていきたい。


そうしていくと、

自分が愛されていることを受け入れる、
それを自分に赦していけるのだと思う。



今、
2019年にのり子さんの家に大型車が突っ込んできた時のことを振り返ると、

愛だけがリアル、
愛だけしか生じていない、

愛を感じる。


私たちがもしも神から離れたら?と思ったところから、
この第4分裂の世界で、悲惨な映像を見ても、

何も起こせなかった。

神は愛で、
実在するものは脅かされない。

夢を見ていても、
実在は実在のままで在る。


それが、心底ありがたい。


のり子さんはこの出来事があった時、
「ありがとうって思うんだよね」と話されていた。

神に、
ありがとうございます、と感謝されていたんだな。


本当に、毎瞬、
自我の誘惑だらけだ。

自我の、お前も相手も罪深いんだ、と言う誘惑に力を与えず、

それはないんです、罪は一度も起こせなかったと言っている聖霊に耳を傾け、
聖霊に信じる力を与えていきたい。


何度も、何度も。

思い出したい。


小さな一つかもしれないけど、
昨日も、身動きできずはまっていた時に、
これを思い出せた。


聖霊のお陰様です。
ありがとうございます。

























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