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赦しの旅路 Vol.2

(癒しの旅路Vol.1  21日の続き)

東京国際フォーラムへ向かう。

とても大きいなSFに出てくるような建物だ。


康介さんと撮影の練習をする。


賢太さんが合流した。

白い手帳は、無事彼の元に戻った。

私たちもまっさらになって、
神の元に戻っていくのか。。


賢太さんは元々カメラが好きなようで、
子供が純粋に探究を楽しんでいるように見えた。


レンズをこちらに向けられると特に、
私は憎まれている、とか、
怒っているに違いない、という
恐れや無価値感、悲しみを感じていた。

何かされたわけでも、言われたわけではない。

昔から、カメラを向けられるのは苦手だったし、
心が閉じてしまう。


だけど、今生は目的が違う。



最初は賢太さんのレンズに目を向けられなかった。


罪悪感と無価値感と悲しみ。
勝手に、
神は私を愛さないだろう、と自分で決めていた。


間違っていたいと望みながら、
良さそうなポイントを移動した。


だんだん、この闇が上がっていても、
賢太さんのカメラレンズに目を向けて、

ダメダメで攻撃しているだろう、
神は私に怒っているだろう、
それが正しいに決まっている、
そうに違いない、、と決めつけている私。

その私が間違っていたい、と
その闇のままで、
彼の奥の私自身に開いたままでいたいと思った。



練習が終わり、
朝からの奇跡の話や、データ処理をしていた。

二人とも、純粋で楽しそうだった。



聞く感じがしたので、
「今日はどうだった?」と賢太さんに聞いてみた。

「良かった」と
楽しそうに、嬉しそうに答えた。

笑顔を見て、良かったなと思った。

まるでフランシスが、
「ケンタ、楽しんで!」
と言っているように感じた。



康介さんと帰りの電車に乗っていると、
早速賢太さんが処理した画像を送ってきてくれた。


その写真を見てみると、
建物、
構図、
バランス、
光の配色、煌めき、
すべて美しかった。


そして、
そこに私が写っていた。


その画像を見て、
また車内で泣いた。


神は私を愛さない。
私は神を裏切ったから。
神は怒って私を殺しにくるだろう。
私は絶対正しい。
そう信じきっている。

その反対側、
神が私をどう見ているのか、、

それに触れたように感じて、
泣けてしょうがなかった。


ああ、やっぱり、
私が間違っていた。

今日の最後にも、
また、
私が間違っていることを見せてくれました。


私が間違っていたいです。
あなたの正しさを受け入れたいです。



惨敗で、惨敗で、
本当に惨敗な1日だった。。


それがありがたかった。



やはり、
負けたくないと怒って正当化しても、
私はどうやら、大惨敗らしい。


私には、まだまだ、とんでもなく、
浄化がものすごく必要なんだろう。。


心の目が曇りまくっていて、
コミュニケーションが「全く」できていない。
0だ。




奇跡がずっと続くわけではなく、
奇跡的なことがあることが奇跡だと思うほど、
いつも闇しか上がらない。


この次の日、

賢太さんにあった奇跡を受け入れたくない、認めたくない!という
拒絶する思いと、
自分への憎悪、無価値感が溢れた。

感情を無視していたが、
すぐに康介さんに「何感じている?」と突っ込まれるので、
そこから惨めさを口にする。


康介さんは、
賢太さんに純粋さと、感謝と喜びを感じたと話していた。


私はその真反対の、
引き摺り下ろしたいという思い、
惨めで悲しくて、愛されていない、無価値感を感じていた。

私もあの後、良かったと感じて、
そう感じたいはずなのに。

彼が口にしている光とは全く正反対の、
闇と憎しみしかなかった。

自分が憎い。


だから、それを口にした後、
「間違っていたい」と言った。

私が間違っていたい。



惨めすぎて、泣きながらそれを口にしていたら、
心の中で、
左の肩にイエスが、
右の肩に五井先生が立っていて、

二人が肩に手を置いてくれている感じがして、
心の奥から、


「いいんだ。いいんだ。
それでいいんだ。」


「あなたじゃないものが溢れてきているんだ。
それでいい。」


そう響いてきた。




Davidの前で悲しみが溢れて泣いていた時も、

いいんだ。
浮かび上がらせていいんだよ、とDavidに言われた。


のり子さんも言っていた。



泣きながら、
みっともなくて痛いのに、
心の奥底からは、真反対の温かい言葉が感じられた。

そして、
エクスプレス直後から、
パッと、

はい!ファンクション。


このまま闇が出てきて、浸って終わり、
ではない。

そのまま、ファンクションに入った。



闇に浸りきって終わるのではなく、
そこから、
私が、間違っていたいと望むので、

ファンクション、ファンクション、
祈って尋ねて、従っていく。


なんだよ、と
ダメダメな私と抵抗や怒りを感じながら、
その後のファンクションをした。


しばらくすると、
気分が少し引き上げられるのを感じた。


私が考えていることと、
逆らしい。

私にはまったくわからないけれど、
本当に、
浄化がとても必要な状態なんだろう。


私だと思っている自分は、
自己憎悪だった。

自分が自分を憎悪していて、
もうどうにもならないくらい、

自分で自分を赦すことができない。


だから、
兄弟を赦すことでしか、
自分を赦すことができなくなっているのか。


ほとんど闇しか感じていないし、
兄弟とコラボレーションしていると、闇しか出ない。


隠すことしかしていない。


私は自分を憎んでいるので、
それが愛の障壁になっている。


これは触れたくないけど、
人のせいにしまくっていては、
触れられない。


でも、
本当に、真に癒されるためには、
これをやらないと絶対に無理だと思った。

この憎くてしょうがない私が、
起こっていなかったら、
私が間違っていたら、本当にありがたい。


この道がなんなのか、
私はまったくわかっていなかったし、
今もまったくわかっていない。


兄弟と関わって、
コミュニケーション、コラボレーションしていても、
していなくても、

私が正しいと思ってきた私に直面して、
隠してきた闇、自己憎悪が浮かび上がって、
光に消えていくことを、自分自身に赦していくしかないんだな。



他人がどんなに自分を責めるように見える時でも、
自分は自分を責めないであげたい。。


少しずつ。。



目にしたり、言葉にしてきた、
”赦し”。


全くわかってなかった。


今まで知っていると思っていた。


全く違っていたんだな、、と思い始めている。


聖霊、
今日も、私が間違っていることを見せてください。




座った席の正面にGODの文字


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